車窓から

 私がロシアの魅力に引き込まれたのは、シベリア鉄道を経験したことが一番大きな影響だった気がします。

 ソビエト時代は外国人と話をしてはいけないと言う決まりがあったために、見ても見ないふり、いても気がつかないふりをされ、機械や人形のように「心を持たない」人々に思えました。

 閉鎖された列車の車両に何日も一緒にいると、街中で見ることができなかった「人の情」のようなものが目に付くようになります。コンパートメントの中で飲み食いしながら談話している声や、やがて始まる歌声など、”やっぱり普通の人だったんだ!”と、こちらの気持を楽にさせてくれました。

 そのうち、少しずつですが同じ車両の人たちと打ち解け始めるようになりますが、その口火を切るのはオバサン達で、どこに監視の目が光っているのかもわからないご時世に、見慣れぬ異邦人に興味を持って気にかけてくれるようになりました。

 どこから来てどこで降りるのかもわからない長距離列車の旅でしたが、ほとんど変化することの無い景色は唐松の林が延々と続いている平坦な大地。

 時折人が住む町が車窓に見えてくると、”どんな人たちが住んでいるのだろう?どんな暮らしをしているのだろうか?”などと考えながら心が和んできたものです。

 考えてみればおかしなもので、国家の運営体制が違っていると言うだけで、人の「情」には大きな違いなどありません。多少の枝葉のような価値観の相違があるだけで、その小さな相違の枝に隠されて幹が見えないだけのことです。

 見えなくて恐いから「区別」や「差別」が生じるのでしょうか?

 相手の土俵に一歩踏み込むことは大きな意味を持つものだと実感したのも列車の中での経験でした。

 近年、卒業旅行の日本の大学生が、シベリア鉄道の旅を選ぶケースも多くなっているようで、嬉しく思っています。

 どうしても仲間内で盛り上がって悪びれて、外に目を向けようとしない傾向が若者達にありがちですが、せっかく得がたい体験ができるのだから、身構えないでその土地の人間になりきってみることも良い経験だと思います。

 最近、外国人と接することが多くなりましたが、余計な虚飾を取り払って接することでようやく安心や信頼を感じてもらえるように思えます。

 引くべき一線と取り払うべき一線は存在するもので、そこはマナーの問題だと思いますが、列車に閉じ込められて過ごす日々は人間修養にもなるかと思います。

07.1/24