成長

 哲学的な話になりますが、仏教の考えに「諸行無常」という概念があります。この世のあらゆる現象は絶えず変化していて永久不滅ではないという考え方です。

 人と人との人間関係の中でも相互依存しあいながら人は変わっていきます。これを成長とも言いますし、時として人が変わったと悪くとらえることもあるでしょう。日々自分も変化しているし、相手も変化しているので、お互いの関わりの中で共に成長しあえたら嬉しいことだと思います。

 「結婚してから変わった」と言われることは考えようによっては嬉しいことで、「付き合いが悪くなった」「女房の尻にしかれている」と冷やかされようが、今まで見えなかった世界が見えるようになるのですから大きな一歩です。

 「結婚はしたいけど、今の自分を変えたくない」というのも非婚化、晩婚化の大きな要因の一つだと思いますが、結婚によって変わらざるを得ないことは山ほどあるので、今の自分に満足していれば結婚などに興味を示さなければ良いだけのこと。将来に期待がなければ結婚なんて足かせになるだけです。何かを犠牲にして得る何かも多々あるものです。

 国際カップルに限ったものではありませんが、人と人との組み合わせで「この人がこんな変化をしたのか?」と感心することも多いものです。これがまたその人の魅力につながるのですから面白いものです。

 日本には「所帯を持つ」という言葉がありますが、「所帯」という一つの社会を構築すればそこに責任も生じるので、おのずと今までのままではいられなくなります。こうした責任感が人を磨くのでしょうか?磨くということは余計なものをそぎ落とすことです。

 ぱっとしないおじさんとちゃらちゃらした女性のカップルが1年もたてばいぶし銀とキラキラしたカップルに成長していたり、お互い眠っていた素養を引き出しあえるのも相性のなせる業なんですね。

 こうした例は異文化格差の大きい国際カップルなど大波のような刺激に始終もまれているので顕著に現れます。

 ある程度社会的な地位を得た年配の人に多いのですが、「自分はここまで確立した」と自我を確立してしまった人ほど、今までの成功体験を根底から覆すことの多い結婚は難しいようで、ようは相手にばかり変化を求めて自分は何も変わろうとしない凝り固まった思考で、これがつまり「若くない」由縁かもしれません。鴨長明の方丈記で言うなら浮かんでは消えるよどみのうたかたになってしまったようなものですね。

 一寸先は闇なのか?光明なのか?気持の持ち方だと思いますが、「この人と出会えてよかった」という出会いに恵まれたら将来は光明に照らされることでしょうし、そうなるように努力するのも若さや柔軟性だと思います。

 考えてみれば「結婚」なんて一里塚のようなもので、そこか先も山あり谷ありで頭を抱えながら生きていかなければなりませんが、振り返るとそんなときが「幸せだった」と思えるのは自分が成長した証なのかもしれません。悩んだことや苦心したことはやがて花を咲かせます。

 答えなどあの世の奥まで出ることが無い長い道のりですから結果をあせらず日々積み上げたものこそ宝です。千里の道も一歩から。お互い刺激しあって良い将来を作り上げてもらいたいと願っています。

07.5/6