理解
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日本人は相手のことを理解しようと一歩踏み出して聞く姿勢を持っていますが、主張することに関しては「相手も理解してくれる」と言う前提で主張するので、言葉足らずになりがちです。 ロシア人も似たようなところがあり、「相手がこちらを理解している」前提で主張するので、お互いの誤解がボタンの掛け違いになってしまい、もう一歩踏み込んで説明しておけば起こらなかった諍いはよくあるものです。 その点、中国人はダメ元でいろいろ言ってくるので、ある意味「困ったもんだ」と振り回されても、ダメならダメですぐ引っ込みますし、向こうに合わせる気持で接すれば楽かもしれません。ロシア人と日本人はマイナス方向に意識が行くので、こちらが積極的に気を使っていろいろ提示してやる努力は必要だと思います。 主張すればことがすむのに黙ってその場をしのごうとするのは「嫌われたくない」と言う心が絡んでいるのでしょうが、愛しているなら相手を信頼して言えばすむことです。Yes Noの単純な判断以外にもその間に妥協案が存在するはずです。 ところが主張が弱い人が主張する時は切羽詰った時なので、自分の欲求が通るか通らないか?妥協ができないギリギリになってしまいがちです。いわばたまったストレスが噴出すとき。 日ごろのコミュニケーーションで、相手が何を望んでいるのか?この地らが何を望むのか?伝える努力をしていれば解決できる問題なのですが、「コミュニケーション」となるとネックになってくるのが「言葉」。 良くないことは「言葉」が通じないを理由にそこで思考停止してしまうことで、安易に「相手もわかっているさ」と自分で思い込んでしまうこと。大方の意思疎通不足によるボタンのかけ違いにはこの思い込みがあります。 「どうも相手が理解していないな?」と感じたら、重要なことばぞ辞書で指差してでも、絵に描いてでも、知り合いの日露カップルに間に入ってもらってでも、なりふり構わず理解してもらおうと言う姿勢を見せれば向こうも膝を乗り出してくる来るものです。 「相手を理解しよう」と言う心構えがなければ「相手に理解してもらえる」ことなどないことに国境はありません。「理解する」ことと「迎合する」ことは別物ですが、本来、国際カップルであることが尋常ではないことなんですから、娑婆がどうであれ開き直りやすいかもしれません。 基本的な価値観が根本的に異なることも少なくないので、死が二人を分かつまで意見の食い違いはあるもので、これはもう一人の人間と一人の人間の対峙です。気長に向かい合うしかありません。 長年一人で生活していると、こうしたことが億劫になってしまうもので、いつのまにか相手を理解する力量もなくなっていて、それがまた人と遠ざかる要因になっているものです。私自身こうした悪循環に入っていることに気がつきましたが、積極的に自分を変えるよう心がけています。 現状維持で迎える将来は現状以下でしかなく、どこかで自分に変化をつけていかなければ滅びてしまったソビエトになってしまいます。新しいことは不安が付きまといますが、これこそが面白いものです。 きっかけはいろいろあると思いますが、自分自身に変化をつけることは仕事や趣味などの別のチャンスも転がり込んでくるものです。将来は思い悩むものではなく、創り上げるものです。 07.1/7 |