こんな話

 「ン?何?国際結婚?ありゃぁいけねぇ!」と語ってたのは県内の村の老人。

 「日本人ってのはなぁ、たとえば鯛を釣ったとする。だが、その鯛に餌をやることをしねぇから死なせてしまう。こういうことがなぁ、日本の国家としての信頼を失墜させることになるから、国際結婚って言うのは良くねえんだ!」

 農村地帯のその村では、一頃フィリピンなどから嫁さんを連れてきたもののなかなか定着せず、地域の顔役として骨折りした人物の言葉だけに、的を得た厳しい指摘だなと謙虚に聞き入りました。

 私の村など、農村としても林業としても成り立たない地味な山間僻地ですが、その村は大規模な農業経営で成功した農村であることから、「男が男でいられる」妙な雰囲気があります。ただでさえ、ええ格好しの多い群馬県人の中で、いわゆる 景気のいいお調子者が多い地域。女房泣かせて自分の道楽にふけることを良しとするような気風がある土地です。

 学生時代、カムチャッカ登山の資金作りにスキー場にアルバイトに行った時ものすごい現実を目の当たりにしました。スキー場には東京などの都市からアルバイトに来る女性がたくさんいるので、その村から「嫁探し」にスキー場にバイトに来る若い衆が猛威を振るっていました。毎晩仕事が終われば嫁を求めて飲み歩き、スキー場で稼いだ金の2倍近くを遊びで使うすごい有様。

 コンバインやトラクターのローンを稼ぐためにスキー場に来ている私の村の農村青年とは大違いでした。「お前さんなんか一生懸命勉強して企業や役所に勤めるのが将来だろう?俺達はこんな馬鹿やっていても経営者!」同年代の友人に言われたものです。

 当時彼らの基本的発想は「やっちまえばこっちのもの!」と生命力ビンビンでしたが、女性も女性で年々手練れていくご時世でした。

 ゴージャスな使いっぷりで都会のお嬢さんを掻っ攫っていくのを指をくわえてみていたものですが、「結婚相手を探すと言うよりも、都会の女性相手のゲームを楽しんでいるのでは?」と言う思いもしました。

 冬はゴージャスに振舞っていてもそれは嫁を手に入れるまで、雪が溶ければ機械化されているとは言えハードな農業が待っています。「大自然の中で」なんて嫁いできたものの、夫は相変わらず消防団だ農協青年部だと飲み歩き、花札やマージャンやれば図書券どころか50馬力のトラクターが右へ左へ飛び交い、旅行に行けば女遊び、「あの時代に都会から来た嫁は三人に一人くらいしか残っていない。若い衆は女房に逃げられてもスキー場でいくらでも見つけられるとたかをくくっていた。」とその顔役の老人は言ってます。

 やがてバブル景気が巻き起こり、給与所得者の収入が上がり、コンニャク農家はじめ農家の脱税に鋭くメスが入り因果応報というのか、踏んだり蹴ったりの時代が来ます。

 この時代になるとフィリピンあたりに嫁探しに行く農家が増えました。同じ時期に私の村でも同じムーブメントが起きますが、「こんな辺鄙なところに嫁に来ていただけるだけでも人助け。」とと言う土地と、農業法人が乱立する大規模農村地帯では受け入れ態勢が違います。

 スキー場に嫁探しに行くような積極的な人たちと比べて、押しの弱い男性が中心だったこともありますが、集団でフィリピンに乗り込み、同行した世話役は誰が気に入ったのかも明確にできない男性に、「お前はこの娘」「あんたはこの娘」と○○教会の合同結婚式のごとく押し付けたのですからたまったものではありません。

 「結婚させちまえば後は何とかなるものだと思っていたけど、あれは思い上がりだったなぁ。それでも半分くらい残っているんだから都会の娘よりフィリピンのほうが辛抱いいわな。」

 外国人同士の情報は恐ろしいもので、悪い評判はすぐに広まります。「村そのものが嫁を粗末にする土地だと敬遠されるようになった」と国際的信頼失墜を目の当たりにしたようです。

 そこでめげないところがえらいところで、今度は中国に目をつけ、じっくりこちらで観察して選べるようにと「農業研修生」と言う形で野菜や果樹つくりの研修生として半年程度村に住ませての嫁探し。ちょうど私の弟が北京留学から帰ってきた頃で、通訳としてたびたび引っ張り出されていました。

 結果としてはあまり効果はなかったようで、それもそのはず。悪い評判が広まってしまったので女性研修生が来ても身構えていますし、日本に嫁いでくるより中国で手腕を発揮したほうが将来がある時代に変わっていました。さらに過酷な研修労働でやってくるのは男ばかりになってしまいました。

 「一番の失敗は俺達が息子の育て方を間違えていたと言うことだ。」「嫁が来る来ないではなく、嫁を持つにふさわしい男なのか?そこが大切だった」「俺達の時代と結婚も変わっていることに気がついていても、認めなかったことだ。」と顔役の老人が申していました。

07.1/3