誰のため?
| 「人はパンのために生きるのではなく、生きるためにパンを食する」失敗力という本に出てきた言葉です。 誰しも手段や道具が最終目的になってしまうおろかさをしばしば繰り返してしまうものです。そこからどう引き返して再スタートするか?これもまた人生。 |
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古い写真ですが、90年代の流通混乱の時代のウラジオストクです。パンやハムが入荷すると長蛇の列ができました。 その一方で食材を積んだトラックや列車のコンテナーが集荷場や積み替え場所に何日も停まったままで、中で食材が腐っている事態が相次ぎました。 強度のインフレに給与の遅配、未払いなどでストライキが相次いだり、何より、いきなり国家から放り出された人々は何をすれば良いのか?誰が指揮を取るのか?方向を見失っていた時代でした。 「国家のために」を強要されていた社会主義が崩れ、自由を手にした結果求められたのは、意外にも自らが「誰かのために「国家のために」と能動的に考える意識だったのではないでしょうか? |
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混乱の時期にあった90年代には人々も方向をつかめないでいたので、「われこそは」と声を上げるものが牽引することができました。しかし、何より復興とマフィアと呼ばれる連中の暗躍を容認していた時代でもありました。どこまでがマフィアでどこまでが実業家なのか?要は法の遵守にあったと思いますが、その法律が機能しないのが混沌の恐ろしさです。 プーチン政権になって法制度の強化などもあり、マフィアの勢力も衰え、時代の変化は表向き市民が主流に変化しました。 一頃はマフィアの経営する会社でも生活のために勤める人はいましたが、21世紀になって新しい経営感覚を持った若い世代が台頭してくると、将来性のある場所へと人は移ろうものです。 自分を中心にして他の人のためにならないことには誰も評価などしてくれませんし、人を粗末にする人間についていく人材はいません。「誰かのために」という意識の無い人がどんなにきれいごとを並べても心は次第に離れています。 パンが手に入ればよかった時代からパンを選べる時代への移ろいです。 90年代には「ロシアには将来が無いからロシアにいたくない」とロシアを出る人々が相次ぎました。結婚を手段にした人も少なくありませんが、手段と目的を取り違えた人たちがはたしてどのくらい幸せになって、どのくらい結婚生活を維持できているでしょうか?「心」の介在しないところに安心はありません。 相手に敬意を持てない人に敬意を抱く相手もいないように、自分の欲求しか眼中に無い人には同じ考えの人間がなびいてきます。相手に何をして上げられるか?これもまた大切なポイントだと思います。 07.4/17 |