ウラジオストク

 ウラジオストク名前の意味は”Владиウラジ(征服する)”と”Востокボストーク(東)”を合わせた言葉で「東方を征服せよ」。

 ロシアの大統領プーチンの名前Владимирウラジミールはロシアにも多い男性の名前ですが、Влади(征服する)とмир(世界)で、世界制服です。

 私の知り合いにもВладимирは覆いのですが、幸いなことに世界制服どころか、家庭掌握もままならない人たちばかりです。

 プーチン大統領のお父さんの名前もウラジミールなので、プーチン大統領の正式名称はВладимир Владимирович Путин ウラジミール ウラジミロビッチ プーチンで、意味は世界征服の息子の世界制服プーチン。

 いかつい名前を持つウラジオストクですが、航海技術の進歩で世界が狭くなった時代に、長い冬を持ちその間港が凍結して使用できないロシアにとって、凍らない港を探すことは死活問題でした。

 アジア諸国がヨーロッパに蹂躙されていた時代でしたが、他のヨーロッパ諸国は大西洋への出入り口はあっても太平洋側へは玄関を持っていません。新時代への幕開け、太平洋への出口としてなんとしても極東の出入り口がほしい帝政ロシアにとって、その鍵を握るのがウラジオストクであり、Дальнийダーリニー(遠い)という意味を持つ大連でした。

 世界が考えもしなかった日露戦争での日本の勝利で、ロシアは巨額との投資をして作り上げた大連から去りますが、この一戦がなければ今頃朝鮮半島はロシアで、そこに住む人々は今頃シベリア奥地や中央アジアにでも移住させられていたでしょう。

 朝鮮半島の李王朝は500年続きましたが、ロシアなどその一つの王朝よりも若い新興国家でした。朝鮮半島が主と仰ぐ清朝も国家の体をなさなくなった中華腐敗の時代。東からは新しい技術を取り入れた中小企業日本が攻めあがってくるし、北からは成り上がりベンチャー大企業ロシアが来る、ぶら下がりの半島が真っ先に切り捨てられます。

 自立していない李王朝は日本に色目を使いながらロシアにくっつこうとしますが、これで激怒した日本が日韓併合への歴史を突き進んでしまいます。

 李王朝最後の皇太子李玖(イ・ク)さんも昨年7月に赤坂プリンスで急性心不全で亡くなりました。73歳でした。母親は日本の皇族から李王朝に嫁いだ李方子さん(りまさこ/イ・パンジャ)(1901-1989)でした。

 昨年はロシアがウラジオストクの街を開いて145周年で、さまざまなイベントがありました。

 ウラジオストク市が誕生したのはその半分、75年程度の歴史です。

 ウラジオストクのメインストリートにある革命戦士広場のこの銅像には、ソビエトがウラジオストクに入り込んできた歴史のシンボルなので1917−1922年です。1917年はロシア革命が起こった年で、翌1918年からチェコ人の捕虜救出の名目でアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、日本がシベリア出兵としてウラジオストクに入り込んできます。

 最後まで残った日本軍が撤退したのが1922年です。日本のシベリア出兵は1925年の樺太撤退で終了します。

 1922年からソビエトとしてのウラジオストクの歴史が始まり、それまで多様な国の人々が行きかった国際都市は軍港として閉鎖都市への道のりが始まります。

 当時、日本の企業や日本人も多数ウラジオストクに住んでいましたが、日本へ撤退。元々この地に住んでいた朝鮮系、アジア系の人々は移住させられ、1992年に開放都市になるまではアジア系の人も住んでいない街でした。

 今、また国際都市として復興したウラジオストク。多様な国々、多様な人々の影響を受けて年々変貌しています。

06.5/2