ある一生

 正月休みに何か一冊小説を読んでみようと図書館でソルジェーニツィンの”ガン病棟”を借りてきたのですが、ウラジオストクからフランスのギ・ド・モーパッサン(Guy de Maupassant)の”Une Vie(女の一生)”を読んで”感動した!日本にもあるなら是非読みなさい!”とメールが来たので、私も読むことにしました。

 高校生の時に読んだことがある小説で、文庫本で持っていたので「ロシア人はこうした長い小説が好きだからなぁ」と読み返してみました。ロシアでは日本文学が人気と言われても、フランス文学は人気以前にスタンダードになっています。

 ”女の一生”ってどんな小説だったっけな?と思い返してみると、主人公のジャンヌが結婚相手のジュリアン・ド・ラマールと初夜を迎えるシーンと新婚旅行の間に男に触れることで得る悦びを知っていくシーンしか思い出せない。

 ところが、二十数年の時を経て読み返してみると、セックスシーンらしいセックスシーンはほとんど出てなかったですが、遠まわしの表現で私が勝手に想像して思い込んでいた、と言うのか私に思い込ませされたというのか、そこしか読んでいなかったのか。ぜんぜん内容を取り違えて読んでいたようで、”もう一度読み返してみるものだなあ!”としみじみ思いました。

 原題は”Une Vie”で、直訳すれば(ある一生)ですが、そこを「女の一生」とした題名も、日本の訳者ってすごいな!と感動してしまうほど、感動的な小説でした。個人的には山本有三の”女の一生”ごっちゃになっている部分もあったので、モーパッサンは”ある一生”でインプットしなおしました。

 以前紹介したノルウェーのヘンリク・イプセンの”人形の家”に出てくるノラも現代的先駆者の魅力的な女性ですが、”ある一生”のジャンヌは聖女的に魅力的な女性でした。

 時は関係ないけどソビエト革命の100年前の1819年。場所はロシアとはまったく関係なくフランス北部のノルマンディー地方。男爵令嬢のジャンヌは5年間の修道女生活を終えて父母の元に戻ってきます。

 17歳と言えば、私がこの小説を読んで勝手にポルノ小説に思い込んでしまったような”夢多き年頃?”なので、ジャンヌもまだ知らぬ恋や結婚に対して憧れを持っています。

 ある日、ジャンヌ一家は司祭に1人の青年子爵ジュリアン・ド・ラマールを紹介されます。何しろ多感な年頃を修道院で男に対して免疫がないまま育ってきましたから、「この人こそ私が夢に描いてきた男性」とジャンヌも一方的に燃え上がってしまいます。ジュリアンは堅実な男で、父親が残した借金を返済して贅沢をしない生活をしている美男子。

 話はとんとん拍子に進みジュリアンが一人娘であるジャンヌの家に婿に入ると言うことで結婚が決まり、結婚式をして夜になるといきなりむしゃぶりついてくるジュリアンとただ痛いだけのジャンヌ。事が終わるとさっさと背中を向けて寝てしまうジュリアンに、”こんなはずではなかった?”と、期待はずれの現実を目の当たりにします。

 ”そんなお前さん、AVのようにいくもんじゃない”と言えるのは40過ぎのおじさんになってからで、17歳のころには”この男よっぽど下手なんだ”と思っていました。

 それでもコルシカ島に新婚旅行に行っている間にジャンヌもだんだんあっちのほうの”味”を覚えてきて文字通りハニー・ムーンに浸っていられましたが、旅行から帰ってくると日常の現実が待っています。

 ジャンヌは何もやることがないし、夫のジュリアンはよく言えば倹約家で悪く言えば物惜しみするケチ。結婚前の華やかさなどすっかり姿を消し、身なりもみすぼらしくなるだけ。釣った魚に餌を上げない亭主と言うのか婿で、財産管理には向いてるが人間としてまったく魅力がないことが徐々に露呈していきます。

 しかも、この夫は結婚後はジャンヌとは別の部屋に寝泊りし、夜の営みも疎遠になります。そのうち、ジャンヌの家の召使いのロザリが結婚もしていないのに私生児を産みます。

 父親が誰なのか口を割りませんが、ある晩、夫の寝室でロザリが同衾しているところを目撃してしまいます。新婚旅行から帰ってきてから夫が別の寝室に寝るようになったのは召使 いのロザリと寝るためで、ロザリが生んだ子供は夫ジュリアンの子供でした。ロザリは男爵家を追い出されます。

 さらに現実はジャンヌを襲います。このときジャンヌは夫ジュリアンの子供を身ごもっており、後に男の子を生みポールと名づけます。

 そしてまた現実が彼女を襲います。ジャンの母の男爵夫人が亡くなります。ところが遺品を整理していたら母が他の男と浮気をしていたことが発覚します。その手紙を誰にも知られないように燃やします。そして次なる現実は息子ポールが大病にかかり、幸いことなく完治しますが、彼女は不安になりもう1人子供が欲しい、できれば今度は女の子が欲しいと願うようになり、ロザリとの一件で疎遠になっていた夫と和解し二人目を身ごもります。

 が、更なる現実がまた湧き上がります。夫が今度は伯爵夫人と浮気発覚。移動小屋の中でことに及んでいる二人を発見した伯爵は小屋ごと崖から突き落としてしまい ます。谷底には血まみれの伯爵夫人とジュリアンの死体。それを見てショックのあまりジャンヌは身ごもった女の子を流産してしまいます。

 ジャンヌは1人息子のポールを溺愛しますが、その姿たるや現代日本のママと息子。親の庇護から抜け出せないまま放蕩を繰り返し、借金作っては母親が返済。ジャンヌの父親の男爵の死後は家も売ることになります。

 平民の居住区に移り住んだジャンヌに、行方不明になっていた息子のポールからの知らせが入り、子供が生まれたが女房の具合が良くない。助けて欲しい。

 ジャンヌはかつての召使で夫の浮気相手のロザリを息子のところに手伝いに行かせます。3日後、ロザリは赤ん坊を抱いて返ってきます。ポールの妻は 結局死んでしまい、葬儀が終わり次第ポールも帰ってくるので、とりあえず赤ん坊だけを先に連れてきたのです。

 孫娘を抱いたジャンヌが言う一言がズシリと響きます「世の中は、人が言うほどいいものでも悪いものでもないもんだねぇ。」

 まだ見ぬ現実に恋焦がれていたころが絶頂で、「これでもか!これでもか!」とばかりに現実が彼女の夢を打ち砕いて行き、輝きはあせてしまいますが、本当に「現実」はそんな残酷さを秘めているものです。ドイツ文学ならジャンヌは非業の死を遂げて終わったことでしょう。

 人が生きていくことは本当に素晴らしい。艱難があっても尊い。長かったけど読んで良かったと私も感動しています。

 昔読んで夜の営みの部分しか記憶していなかったのにこんなこと言うのも変ですが、時を経て読み返してみるとそれまで経験から深まる理解や発見があります。本に限ったことではないと思うので時間があるときにいろいろ思い返してみるのも良いことだと思います。

 今の日本の家庭問題や、対極にいそうなレフ・トルストイの小説”アンナ・カレーニナ”やモーパッサンが影響を受けたといわれるギュスタフ・フロベールの”ボヴァリー夫人”のことなどを思い返しながら読んでみました。

 オノレ・ド・バルザックやビクトル・ユゴーやスタンダールなどはウラジオストクの本屋でよく見かけますが、モーパッサンは見かけたことがありませんでした。私は”脂肪の塊(Boule de Suif)”などの短編小説が好きですが、”ピエールとジャン”や”ベラミ”などの長編が好まれるのもロシアならではでしょうか。「読んでごらん」と薦められても尻ごみします。

 長い冬に閉じ込められると長編小説もよき友でしょうが、時間はもとより、精神的な体力がなければ読みこなせるものではありません。

06.1/5