先駆者
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2002年10月25日に民主党の衆議院議員の石井絋基さんが自宅前で暴漢に襲われ刺殺された事件をご記憶の方も多いと思います。 その頃日本の世情は北朝鮮拉致被害者の横田恵さんの娘だと言うキム・ヘギョンちゃんが出てきてその真偽で話題になっていたり、モスクワでは後に多数の犠牲者を出すテロリストによる劇場占拠事件が起きていました。 石井議員刺殺事件はその陰に隠れるように小さな扱いになっていましたし、私自身も彼がロシア女性と結婚している国会議員という認識はありましたが、事件当時は公金の不正流用などを追及していたことで暗殺されたのだろうと言うことばかり目が行っていて、この人が日ロ関係に大きな貢献をしていた実績にはほとんど目が行きませんでした。 当時は日本国のロシア関係はムネちゃんが牛耳っていましたから。 事件以前に石井さんに関しては「官僚天国・日本破産」と言う漫画本を読んだことがあります。 |
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最近、意外な方面から石井さんに関する話を聞きました。意外と言ってもウラジオストクからですが、ソビエト崩壊以後、1992年7月に外国人も入れる開放都市になったウラジオストクと日本の交流に石井さんが多大な交流をしていたことを、ロシア側から指摘されて恥ずかしながら初めて知りました。 ロシアで屈指の日本の研究機関だった極東大学に日本人の教官を送り込むことに尽力したり、ウラジオストクに日本領事館を置くことにも尽力してくれた人だったそうです。 |
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ウラジオストクにプリモーリェ・カレッジと言う学校を作り、日本語教育を普及するさきがけを作ったのも石井さんだそうで、ウラジオストクが開放都市になって早々の1992年10月15日に開校しました。くしくもその10年後10月25日
、暴漢に命を奪われました。プリモーリェ・カレッジの初代学長は石井さんの奥さんのナターシャさんです。 ハバロフスクと新潟の間にはソビエト時代から飛行機が飛んでいましたが、ウラジオストクから直行便を新潟と富山に飛ばすよう尽力もしています。そこから始まり、いまや関空と北九州空港にも直行便が出るほど交流が盛んになっています。我々が当たり前のように恩恵 を受けているその礎を作った人でした。 石井さんの奥さんのナターシャさんはロシア人ですが、生まれはウラジオストクだそうです。3歳までウラジオストクで過ごしただけでほとんどその記憶はないそうですが、その時代のウラジオストクはソビエト市民でさえ立ち入れない特殊な軍港でした。極東艦隊司令部のあったウラジオストクに関係者以外のロシア人が立ち入れるようになったのは1977年です。 石井ナターシャさんはNHKのロシア語会話で講師をしていましたが、私など2人の娘さんの石井ターニャさんが出ていた95年ごろのNHKロシア語会話をちょっと見た記憶があるくらいです。当時はここまでロシアと関わると私自身思っていませんでした。 石井さんは1940年生まれですが、戦中はハルビンにも住んでいたそうです。1965年にモスクワ大学大学院に留学し、そのときに時に知り合ったナターシャさんと国際結婚はありがちなパターンですが、時は1960年代末。ソビエト市民との国際結婚など誰もが思いもしなかった時代です。 どのくらい堅牢な壁を突き破ってきたことか?想像するだけでも並大抵の意志では成し遂げられなかったことだと思います。”自由”が今とはまったく異なっていた時代です。 日本人よりも日本を学ぶロシア人のほうがよく知っている日本人の一人かもしれませんが、先駆者として切り開いてくれた道は大きく、その礎の上を歩いていることなど誰しも気がついていません。私自身ウラジオストク側から指摘されるまで気がつきませんでしたし、調べてみて頭が下がる思いがしてなりませんでした。 先駆者の切り開いた道の敷石の一つにでもなれればいいなと思っていますが、遠い道のりです。 ロシアもこのところ国際結婚に対して国が厳しくなってきているようですし、人々の関心の薄れているので、再び道が閉ざされるのか?と懸念もしていますが、道を残すも壊すも今後の”自由の扱い方・責任の持ち方”次第だと思います。 06・3/21 |