ピカソ
| パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・ クリスピアノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ。 画家ピカソの正式な名前です。 恋多き画家であったピカソの人生にはたくさんの女性が登場しますが、婚姻を結んだのは2人だけでした。ピカソが70歳の時に恋に落ちた最後の妻ジャクリーヌは26歳の子持ち女性。年齢差なんど44歳でした。 ジャクリーヌは1973年、91歳のピカソの死を見取ったのち、1986年に自殺してしまいました。 ピカソの最初の妻はオルガ・コクローヴァというロシア将校の令嬢でバレリーナでした。二人が出会ったのは時代がまだ帝政ロシアとソビエトの端境期の1917年のローマ。ジャン・コクトーに誘われたピカソがロシアバレエ団の舞台や衣装デザインを手がけた時に知り合いました。ピカソ37歳、オルガ27歳でした。翌年2人は結婚します。 |
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ピカソがオルガ・コクローヴァをモデルに絵を描くに当たって「私だとわかるように描いてね」と巨匠に向かって一言釘を刺したも物ですから、彼女をモデルにした絵はピカソって絵が上手だったんだなぁ、さすがだなぁと誰にもわかる絵になっています。 オルガは野心はあっても踊りの才能はないバレリーナだったと言われていますが、ロシアではオルガがピカソの本当の才能を開花させたと言う人もいます。ソクラテスの妻のようなものでしょうか? 左の絵は1917年に描かれた「オルガの肖像」。オルガの一家は帝政ロシア崩壊によってロシア国外に亡命しています。 オルガと結婚した1918年頃から、既に確立していたキュビズムというピカソの象徴的なわけのわからない抽象画から逆行し、新古典主義のボリューム感あふれる絵を描くようになりました。 没してから名声を得る画家が大多数の中、ピカソは生前から名声を得た稀有な画家ですが、この巨匠に作風まで変えさせてしまう強妻のオルガに嫌気がさしたピカソは、次から次へと”愛の遍歴”を重ねていき、オルガとの間にもうけた子供は1人ですが、よそには3−4人いるといわれています。 |
| 二人目の妻ジャクリーヌ・ロックもそんな中で出会った1人でした。 オルガと離婚して別の女性と一緒になりたかったピカソですが、たとえ別居していても、オルガがなんとしても離婚に同意しないので、一応ピカソの結婚暦は2回ということになっています。 オルガが早死にしたためにピカソとジャクリーヌが晴れて結婚できたのが1961年。最初の出会いから9年間の歳月が流れていました。結婚した時、ピカソ80歳ジャクリーヌ36歳です。 右の写真がジャクリーヌ。こんな風に描かれても怒らなかったんでしょうね。「私だとわかるように描いてね」と言った前妻とは随分違います。 |
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芸術家としても、1人の男性としてもとてつもない人物だと思いますが、偉大な人物が女性に翻弄される人生も落差が大きく面白いものです。 それにしても、ピカソが愛した女性たち。彼の長い名前をおぼえられたのだろうか? 参考までに世界一長い名前を持つ都市はタイのバンコクだそうで、タイの人たちは万国と呼ばずにクルンテープと呼んでいます。正式免償で宛名を書いたら手紙の本文よりも長くなりそうな名前です。 クルンテープ・マハーナコーン・アモーン・ラタナコーシン・マヒンタラーユタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラッタナ・ラーチャターニー・ブリーロム・ウドム・ラーチャニウェート・マハーサターン・アモーンビーマン・アワターンサティト・サッカタットティヤ・ウィサヌカムプラシット。 06.1/21 |