思い返せば
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思い返せば90年代半ば、まだロシア人と日本人の国際結婚が珍しかった頃。旧ソビエト圏の留学生達の支援活動を手伝ったことがあります。ロシアから一流の音楽家を呼んでコンサートを開き、留学生の支援の資金作りの手伝いをしました。 ソビエト時代にロシア男性と結婚してロシアに住む日本人女性が、「最近日本の男性とロシア女性の結婚が増えたわね。それも、だいたいがサンクトペテルブルグの女性なのね。」と不思議そうに言っていました。 当時はまだインターネットも普及していませんでしたが、ロシア女性と日本男性の結婚を斡旋する業者があることは雑誌で読んで知っていました。都市部の電話帳にはそうした業者がタウンページに出ていると聞いていましたが、既に山奥に住み着いていましたし、よもや自分がなんて思ってもいなかったのであまり気にしていませんでした。 雑誌の記事もロシアの医者や弁護士などが日本の男性と結婚したがっているというような記事で、猟奇的だと思いこそすれ、”まともな話ではない”と心地よいものではありませんでした。 日本に進駐軍がいた頃は生まれていないのでわかりませんが、ベトナム戦争時代に米兵と日本女性の結婚は良くありましたし、私の生まれた土地は温泉地なので、誰がどう見てもオミズ系の日本女性がこれ見よがしに米兵らし い外国人男性とくっついてくる姿を見て、子供心に心地よいものではありませんでした。 お客ですから旅館の仲居さんたちも丁寧に対応しますが、仕事が終わってその裏では「色気を使ってアメリカに移り住む気だ。」、「あんなオカメみたいな女、ガイジンでもなければ相手にしない。」などボロクソにけなしている光景を目にしてきたこともあるのでしょう。 実際、自分がUSAに行って目にした日本人でも、”心地よくない”人もいました。その手合いときたらだいたいが米兵にくっついてきた元夜の蝶の手合いですが、育ちの悪さなのか、日本への恨みなのか、ただ単につまらない見栄なのか?妙にお高くとまって私達を見下すような態度が鼻についたものです。 そんなに日本や日本人が嫌なら日本人の集まりなんかに出てこなければ良いのに、集まりの場になるベニハナの隅のテーブルにしっかり陣取ってさげすんだ目でこちらを見ているんですね。 事を荒立ててもしかたないので、やんわりと受け止めながらも腹の中では「食いつぶしが何ほざいていやがる。」「ガツガツ浅ましいやつだ。」と憤慨していたものです。国籍日本、住むのはUSA,アイディンティティーは日本を否定しながらもUSAにも受け入れられない根無し草。不憫といえばそれまでです。 日本人と結婚したがるロシア女性の記事を見たときに、そんな光景を思い浮かべてしまいました。当時は日本に来るロシア女性といえばオミズが多く、別に非難する訳ではありませんが、経済活動のために来るものと、その土地の人間としてすむために来る人間は異なります。景気や経済格差でごちゃ混ぜにすると不幸が起こるだけです。 当時はこうしたロシア女性との国際結婚に3−400万円かかるのが常識だったようです。モスクワではなく、サンクトペテルブルグと言うのもミソでした。 今にして思えば、モスクワはロシアの中の外国といわれるように、モスクワに住むにはモスクワの市民権が必要で、モスクワの市民権を持っている人が簡単に国外に行くはずもありません。地方から都市へ人の流れはロシアも同じですが、規制があって住み着けないモスクワよりも、第二の都市サンクトペテルブルグのほうが地方から人が入りやすく、サンクトペテルブルグに行って、今まで未知だった国外への情報に出会います。 なるほどサンクトペテルブルグというのも納得できますが、それはあまりにも遠く感じました。 日本人がロシア人の生活についてほとんど知る機会もなかったように、サンクトペテルブルグなど向いている目線は西ヨーロッパで、日本については知られていません。先ほどの日本女性が「何でサンクトペテルブルグなんだろう?」という気持ちもわかります。 はたして経済格差で成り立った人身売買のような結婚がどのくらい生き残ったかと考えると怪しいもので、以前ロシア領事館の職員が70%は一年以内に離婚すると言ってた言葉が、無謀な数字とは思えなくなってきます。 価値観が異なるので、”ロシアで成功した人のように日本で暮らせると思っていた女性”と”日本人の妻のように家庭を与えてくれる”と思っている日本男性の間にギャップが生じても当然です。 国籍に関わらず、”個人”と”個人”の付き合いには異なる価値観が大なり小なりあるもので、それを補うのはお互いの”人がら”や”尊敬”で、「結婚生活なんて妥協の連続」といいながら営んでいられるのはお互いが認め合っている”愛情”があるからでしょう。これが仕事ならばもっと明確にわかるように”給料”や”待遇”で提示されますが、夫婦など人と人との関わりはもっとあいまいでドロドロしたものです。 その頃既に留学先で知り合ったサンクトペタルブルグの女性と結婚した私の友人の日露カップルもこちらに住んでいて、奥さんはロシアに留学経験を持つモンゴル人たちと、日本で暮らす旧ソビエト圏の人たちの電話相談のボランティアをしていました。 毎日国際結婚で日本に来た女性からの悩み相談が1−20件あり、そのほとんどが別れてロシアに帰りたい。さらにそのほとんどがサンクトペテルブルグから来た女性でした。「なんでそんなに嫌な人と結婚したの?」突き詰めればそこにたどり着いてしまいます。「ロシアにいたくない」「ロシアに夢がない」ネガティブな考えで外に出ても飲まれるだけです。 「ソビエトの時代は自分の将来に対しての自由がなかったが、責任も必要なかった。今は自分で選べる自由もあるが責任も負わなければならない。彼女らは自分の意思で外に出ることに対して鍛えられていない」モンゴル人留学生が言った言葉です。 私なども田舎から都会に出たとき、日本から外国に出たとき、勤め先が変わったときや退職した時、自分の身にまとわりついていたステータスは通用せず、改めて信頼関係を作るために耐えることの多さを実感していますが、こうしたことを繰り返しながらが人生ですから、一本の路線を歩んできた彼女らが戸惑う気持ちもわからなくはありませんが、「遊び」と「現実」は別物です。 ある程度の年齢から上の日本男性たちには「結婚」と「就職面接」の区別がつかないのだろうか?と思えるほど、条件にこだわる人たちがいますが、これがかつての結婚の「常識」だったのかもしれません。その結果は条件が崩れると昨今話題の「熟年離婚」ですから、 「契約」としての「結婚」の限界はここまでです。日本人同士の結婚でさえ「人格」が問われる時代です が、そこを無視して「結婚」という社会的な約束ばかり求めてきた「娑婆」もいい加減だと思います。 日本に限らず、USAやヨーロッパで同じように夢破れたロシア人も多いことでしょう。日本人だって国外に出たものの同様に夢破れた人もたくさんいます。シンデレラだって「灰かぶり」と呼ばれ、継母や姉たちに虐げられて耐えてきたからこそ魔女の恵があったのです 。シンデレラが王子と結婚した後どんな現実に直面して乗り越えて「幸せに暮らしました」になるのか?王様はボケてオムツ生活になったかもしれないし、皇太后に嫁イビリされたかもしれない、王子だってよそに女こさえてしまったかもしれない。子供がぐれて留置所に貰い受けに行ったかもしれない。シンデレラが細腕一つで乗り越える「女の一生」の上で「幸せに暮らしましたと、想像してみるのも大切だと思います。 インターネット時代になってから地理的に近いハバロフスクやウラジオストクが注目されるようになり、サンクトペテルブルグは遠くなりました。良い悪いを含めて情報化社会は国際結婚に変化をもたらしましたし、今まで多くのカップルが手探りで探してきた家庭つくりなども、発信する人が増えてきたことで、 お互いの違いを知ることも多くなりましたし、対処法なども模索しやすくなりました。 いいかげんな「娑婆」は「結婚」という形を求めても、あやしい「常識」を振りかざして異なるものは「排除」したがるもので、国際カップルであるが故に向けられる偏見は多いものです。身を挺しても相手を守る決心がなければ国際結婚なんて選ぶべきではありませんし、「異なる価値観」をすり合わせていける忍耐力も必要です。そんな苦心しているうちにいつの間にか周囲にも認められていますし、自分でも気にしなくなっているものですが、気がつけば何のことはないただのおじさんとおばさんになっています。そこに至るまでの過程が大変なんでしょうが、目線を変えれば誰にも経験できない面白い冒険だと思います。 日露カップルの総数はそれほど変化はありませんが、同じ目線で結婚を考えられるようになってきましたから、ある意味条件でなんとでもなった時代より難しくなった反面、人がらと人がらで結びつくようになってきたと思います。 余計な飾り付けを排して人間本位で向かい合えるので、国際結婚も面白いと思います。 06.6/4 |