黒ネコのタンゴ
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”かわいい”よく若い女性が口にする言葉ですが、”美しい”ほどの重みもなく、”愛しい”ほどの包容力もなく、時として滑稽なことまで含まれてしまう幼稚で無責任で罪作りな日本語だと思います。 ”子供っぽい”には”大人になりきれない”未熟さと反面、娑婆に毒されていない純粋さが含まれていることもありますが、ロシア人に”子供っぽい”といわれたら人間失格に近い烙印を押されたと解釈したほうが良いと思います。 大人と子供では”権限”や”自由”が大きく違い、親から子供を離れていく文化なので、「早く大人になりたい」と成長するのが他の国々で、いつまでも親の庇護の元、ピーターパンのようにいつまでも子供のままでいることを理想とする生き方とはわけが違います。 YesNoがはっきりしない、物事を自分の意志で判断できない、”どうですか?”と相手の出方を見てから自分の態度を決める。日本人に対する悪いイメージの代表で、”子供っぽい”と供されたり”卑怯”と評されたり、こういう態度を見せると確実に信頼を失い見下されます。 ”慎重に”の裏側にある”逃げ腰”を見抜かれているので、「最初から逃げ道に逃げ込むつもりなら関わらないでほしい」というのが本音ではないでしょうか?そんな人間に身をゆだねるのは誰だって不安です。 個人的なことですが趣味の山登りに行く時には、計画の段階でエスケープルートを必ず模索しておきます。この辞典にいって何かあったらここから逃げる、ここまで進んだらこちらから脱出、状況によっては引き返すよりも頂上まで行ってしまったほうが安全なことも計算します。登り始めたら、エスケープルートのことは気にしないで頂上を目指します。 逃げ道にも危険はありますし、そちらに目をやってはいただきは踏めないどころか、曖昧は正気を奪い死を招きます。恐いと思ったらはじめから登ろうなんて思わなければいいだけのことです。 入口で全てが決まってしまうように考えてしまうのは。受験競争や就職戦線を経験してきた日本男性の悲しい習性なのかも知れませんが、その枠の中に入ってしまえば安泰というわけではないことを誰しも実感していることと思います。娑婆の厳しさをしっるものに最後はまくられるものです。”なぜ?”も大切ですが”どうすれば”はもっと大切です。 一癖ふた癖、裏表、いろいろあって世の中です。娑婆の塵芥を潜り抜けて人間の深みが出てくるもので、これが大人ではないでしょうか? |
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1999年の4月にウラジオストクに行った時のことですが、日本ではやっていた”団子三兄弟”がウラジオストクでも流れていました。レストランのBGMならまだしも、ナイトクラブのダンスミュージックとして流れたのですから驚きました。 このCDとカップリングになっていたのか、レストランで”団子三兄弟”に続いて”黒ネコのタンゴ”が流れたとき、通訳が「この歌はフィンランドの歌です。」というのでまさか?と笑いってしまいましたが、後ほど彼が持ってきてくれたカセットテープにフィンランドの言葉で歌った”黒猫のタンゴ”が入っていました。 調べてみると、元々はイタリアの歌だそうで、それが日本でヒットして日本語の訳をフィンランド語にして「Mustan Kissan Tango」と呼ばれていたようです。それがフィンランドからロシアに入ってきたのでしょう。 元のイタリアの「黒ネコのタンゴ」は「Volevo un gatto nero」黒い猫が欲しかったという歌で、栗ネコが欲しかったのに君がくれたのは白いネコだったという歌でした。 イタリア語のサンプルミュージックが聴けるHPを発見しました。 |
| イタリアでも子供向けの歌として世に出たそうですが、いきなり前衛タンゴ作曲家のアストル・ビアソラ(ビアソラは著名なバンドネオン奏者でもありますが、この伴奏にはバンドネオンは使われていません。)を思わせる、不安を掻き立てるような伴奏が始まり、”えらいことになったぞ!”、”さすがは歌曲の国”と聴いているとおなじみのメロディーが流れてきます。 紹介したHPにも書かれているとおり、私達には理解しがたいヨーロッパ文化の”貢ぐ男””貢ぐ女”が歌詞の中に盛り込まれているようで、日本なら「そんな意図があるなら教育情良くない」「放送禁止だ!」と騒ぎになることでしょう。娑婆の厳しさを子供のうちから聞かされて育っているのですから、”おとな・こども”に対する考え方も異なるはずです。 ”大人”には狡さもつき物なんでしょうが、それを”子供じみた”小技でごまかそうとするから見透かされるのでしょうね。正面きって突きつけられれば逃げて、そして甘えれば女性は許してくれると思っていると♪あとで泣いても知らないよ♪ 05.1/29 |