子離れ

 先日テレビのトーク番組を見ていたら、辺見えみりさんが出ていました。両親は御三家と呼ばれ一世を風靡した西郷輝彦さんとお色気系の歌手(女優)だった辺見マリさんですが、既に離婚しています。

 その後、娘のえみりさんは母親のほうについていましたが、その後母親の辺見マリさんが14歳年下の男性と結婚。4年後にいつの間にか離婚していました。

 華やかで軽薄で、浮き沈みの激しい芸能界ではあってもおかしくない話ですが、それを娘の視線からどう見ていたかを辺見えみりさんが番組の中で淡々と語っていたのが印象的でした。

 両親が離婚し、母親が14歳年下の男性と再婚した時、「始めて母の女の顔を見た」と言っていました。西郷輝彦さんとの結婚生活の中では料理などしなかった(家政婦さんがいたんでしょうね)母親が、夫のために楽しそうに食事を作っている姿を見て、女優や歌手としての母親から1人の女としての母親の姿を目にしたそうです。

 「私に手がからなくなったから母は自分の幸せのために結婚したのだから、良かったと思う。」と、日本的な感覚ではなかなか口にできないことを言っていました。その後 、母親が離婚したことに対しても「母の人生だから」。

 日本的な家族観が崩れてよくないと考えるのか?欧米的な家族観が浸透してきたとして良しとするのか?複雑ですが、これも人生です。

 父親、母親、母の夫アブノーマルな人間関係ですが、これを割り切って見つめられるのは彼女自身がしっかり「自分」を持っていたからかもしれません。”ドライな家庭だな”と驚きながらも、思い返せばロシアではこういうのが当たり前なんだろうなと、妙に感心し つつ番組を見てしまいました。さらに不可解なのは、辺見えみりさんは何であんなブサイクなコメディアンと結婚したのだろう?

 ロシアは離婚大国で、その理由は多々ありますが、離婚した場合大方の夫婦では子供を母親が引き取ります。まだ幼い子供を連れて再婚する母親も多いです。

 ロシアでは名前が三つあり、ファミリーネームと、個人の名前、そして父親の名前です。たとえば。べとロバ・アナスタシア・ニコラエブナならば、ファミリーネームがペトロフ(女性の場合はペトロバ)、個人の名前がアナスターシア、彼女の父親の名前がニコライということがわかります。

 母親の結婚や自分自身の結婚で姓が変わることはあっても、個人の名前と父姓(父親の名前)が変わることはありません。

 離婚も多ければ再婚も多いので、同じ母親から生まれた兄弟姉妹でも父親が違えば父姓も変わります。これが日本なら白眼視されたり、差別の元になることですが、ロシアでは取り立てて意識することもなく、極当たり前のこととして受け入れられています。

 これもまたなかなか理解しがたいことですが、親が再婚することに対しても寛容で、その背景には精神的な自立心の違いがあると思います。

 戸籍制度のないロシアでは国内パスポートが戸籍の代用をしていますが、17歳までは親のパスポートの中に子供が含まれていて、国際パスポートの取得はもとより、国内パスポートの提出が求められる国内の移動もいろいろ制限がつきます。

 17歳になって自分のパスポートを持つと、”一人前”として認められるし責任が大きく当人にものしかかってくることになります。結婚しようが何しようが自分の責任と親が突っぱねるのが普通で、離婚経験者や配偶者を亡くした者は、子供が17歳で自立してから新しい生活を求めるケースは少なくありません。

 ロシアでは家族の絆が希薄なのか?と言えば決してそんなことはありませんし、むしろ日本の家庭より結びつきが強く感じます。違いと言えばお互いが寄りかかって依存していないことでしょう。

 子育てにしても、子供が幼い頃には母親べったりと甘えていますが、甘えることと甘やかすことは別物と線引きができているような気がします。子育てしながらも”この子供が早く自立して自分が自由になったら・・・”と、子供の自立のことを先のことを考えるので、しつけに厳しい一面もあります。

 「子供の人生を最後まで見とれないのだから、親は子供を早く一人前にすることは重要なこと。親はいつまでも子供を子供のまましなりつけてはならない。」

 ロシアでは子供が育つまでは惜しみなく愛情を注いで、子供が自立したらその空白をペットで埋めるような一面も見られます。逆に、ペットの延長線上に子育てがあるような昨今の日本という見え方もします。

 意思決定は自分の責任ですから、子供がどんな人生を選択しようが子供の人生、親がどんな生き方をしようが親の人生、足の引っ張り合いをしても何の幸せもありません。親子の絆と社会的なことは別物と割り切っているのか、そこまで手が回る余裕がないのか?大切なのは自分の足で立って物事に向かい合うこと。

06.3/29