Клен ты мой опавший,

 セルゲイ・エセーニンСергей Александрович ЕСЕНИНКлен ты мой опавший,(枯れた楓)を紹介します。

 エセーニンの詩については犬の歌母への手紙私にあの歌を歌って、などソビエト歌謡として素晴らしいメロディーをつけられた詩を紹介してきましたが、今回も美しいメロディーがついた詩です。

 セルゲイ・エセーニンはロシアをこよなく愛した詩人で「天国はいらない、故郷がほしい」の名言を残していますが、「天国=社会主義」「故郷=ロシア」だったのではなかろうかと解釈もされています。昨年もセルゲイ・エセーニンの死をめぐって、自殺ではなく暗殺されたのでは?と言う視点で制作されたドラマがロシアで高視聴率を得ました。

 エセーニンは1922年にモダンバレエの創設者と言われるアメリカ人のバレリーナ、イサドラ・ダンカンと結婚したことでも名前が知られていますが、イサドラはエセーニンよりも17歳も年上の姉さん女房でした。有名人同士の結婚が長く続くはずもなく、エセーニンは1925年12月27日に「さよなら友よ」と自らの血でダイイングメッセージを残しピストル自殺したとされています。

 あまり知られていませんが、エセーニンにはイサドラと恋に落ちる前に女優のジナイーダ・ライヒと言う妻がいました。名前から想像するとドイツ系ですね。ジナイーダとの間にはコンスタンチンと言う息子がおり、コンスタンチン・エセーニンと言えばロシアでも有名なサッカー解説者です。

 エセーニンと別れた後のジナイーダ・ライヒは再び結婚します。その相手は20世紀最大の演出家と言われたメイエルホリド。2004年にコラム”恋の逃避行”でメイエルホリドを少々紹介しましたが、戦前の日本の女優、岡田嘉子が恋人の演出家杉本良吉と共に、樺太の日ソ国境境界を越えてソビエトに亡命したのも、この世界的な大演出家メイエルホリド の元で演劇を学びたいと言う名目でした。亡命した日は昭和12年(1937年)12月27日、エセーニンの12回目の命日の日でした。

 しかし、そのメイエルホリドもスターリンに目をつけられ1939年6月に逮捕され、1940年2月2日粛清されてしまいます。スターリンの死後、メイエルホリドは名誉回復をされていますが、遺体はいまだ もってどこに埋葬されたのかわからないと言われています。

 メイエルホリドの妻となったジナイーダ・ライヒがどうなったのかもソビエト崩壊以後にわかってきました。1939年7月3日、彼女の45回めの誕生日、夫を逮捕され一人で誕生日を過ごす彼女の元に秘密警察がやってきて、この年の6月15日に夫が演出家の会議で述べた演説をよまされ、1週間後にまた来るから準備をしておくようにと言われます。

 逮捕を覚悟したジナイーダは息子(コンスタンチン)と娘を実家にあずけ、7月14日その人たちはやってきます。ジナイーダは召使も帰宅させ1人で家に残り、翌朝全身血まみれになった姿で発見されます。そのときまだ 息はありましたが、「私はもうすぐ死ぬからこのままにしてくれ」と息を引き取ります。17箇所も刺されていました。それから半年、メイエルホリドも処刑されます。こちらは銃殺だったそうです。

 ジナイーダ・ライヒはモスクワのワガーニコフスキイ墓地に葬られ、近くには前の夫セルゲイ・エセーニンの墓があります。

 Клен ты мой опавший,はソビエト、ロシアでもたくさんの歌手に歌われており、作曲はセルゲイ・アナシキンです。

 ♪ここをクリック♪ 日本では加藤登紀子さんが自らエセーニンの歌詞を訳して「枯れた楓」として歌っています。その歌詞を引用させてもらいます。加藤登紀子さんの訳詞はメロディーに乗せていたう歌詞という制約の中で、元の詩の意や心を損なわずに、聞くものの心を掴み取る言葉を投げ込んでくるので、あとの余韻も素晴らしいです。

 

Клен ты мой опавший,  枯れた楓
Клен ты мой опавший, клен заледенелый,  枯れ果てた枝に 吹雪は荒れて
Что стоишь, нагнувшись, под метелью белой?  風に震えながら たたずむ楓よ
Или что увидел? Или что услышал?  何を見るのか 何を聞くのか
Словно за деревню погулять ты вышел  今にも倒れそうに うなだれる君は
И, как пьяный сторож, выйдя на дорогу,  窓辺の雪に つまづき倒れた
Утонул в сугробе, приморозил ногу.  酔いどれ男の 哀れな姿
Ах, и сам я нынче чтой-то стал нестойкий,  夜ごと日ごとに 酒をあおりて
Не дойду до дома с дружеской попойки.  家路も忘れはてた 私のことさ
Там вон встретил вербу, там сосну приметил,  歌を歌おうか 陽気な歌を
Распевал им песни под метель о лете.  夏の陽ざしのように うたってみようか
Сам себе казался я таким же кленом,  老いたる楓よ あわれな楓よ
Только не опавшим, а вовсю зеленым.  お前のようにこのまま 死にたくはない
И, утратив скромность, одуревши в доску,  誰が歌おうと 何を言わりょうと
Как жену чужую, обнимал березку.  許されぬ夢を 抱きしめよう

 

 セルゲイ・エセーニンがКлен ты мой опавший,を書いたのは1925年11月25日。死の1ヶ月前です。農村詩人と呼ばれていたエセーニンが都会に出てきて名声を得、次第に人生に疲れて、夢がなんだったのかもわからなくなり、現実から逃げて酔いどれ男に成り下がった自分、思い浮かぶのは故郷の母や白樺の木や楓の木。

 木々は枯れても春が来ればまた芽吹きますが、人は枯れれば朽ち果てていくだけです。そんな恨み節のようにも感じますが、この詩を呼んだ後に「天国はいらない、故郷がほしい」を思えば、富や名声よりも田舎の故郷で愚かしく朴訥と行きたかった自分に気がついたものの、もはや戻れない葛藤から生まれ出た言葉ではなかろうか?と思いもします。

 本来ならソビエト時代に抹殺されていてもおかしくないエセーニンの詩ですが、多くの作曲家に歌曲として取り上げられ残りました。ロシアの人々が愛して病まないエセーニンの詩であったことも政府が手を出しかねる要因でしょうが、要職にある人々も「こんな馬鹿なことが続くわけない」と思っていたから、エセーニンを通じて一般の人と共有する感情を持っていたのかもしれません。

 そしてまた、エセーニンに詩情を愛するロシアの人々と、日本人の感情は似通った部分が多いなあと感心します。

06.5/23