非常識
| 「日本の常識=世界の非常識」よくこんな言葉が巷を飛び交います。一面ではあっていると思いますが、それが全てを言い当てているとはとても思えません。 それならば、「ロシアの常識=世界の非常識」や、「中国の常識=世界の非常識」も同様に成り立つと思います。それよりも「アメリカの常識=世界の常識」と思っているアメリカ人のほうがよほど非常識ではなかろうか?と思います。 「常識じゃないか」が成り立たないことはよくあることで、「常識」と言葉が浮かんで来たら「何でだろう?」と疑ってみることは必要なことだと思います。怖いのは常識・非常識ではなく思考停止になってしまうことだと思います。 お互いの常識が異なることはしばしばあることですし、これは外国人に限らず日本人同士の付き合いの中でも起こりうることです。「これが常識なんだから」と譲らない相手に対して感じることは「なんて自己中心的で、度量が小さな人間なんだ」という哀れさでしょう。 人間関係での「常識」の基本は「相手に不快な思いをさせない」ことが最低限必要な思いやりで、これは決して媚びたり阿ったりすることではなく、お互いが気持ちよく済ませることができる妥協点を見つけ出すことにつながるのではなかろうかと思います。 はたして何が正しいのか?どちらがよいのか?判別の手助けとして「法律」が存在したり、「流儀」が生まれるのであって、それを盾に自分の意見をごり押しするのは本末転倒かもしれません。まあ、娑婆にはなんでも自分の意見をごり押しする利己的な人が少なくはありませんから、いちいち意向に従っていては身が持ちませんし、時として厳しいやり取りも不可欠です。 幕末や第二次大戦後など世の中が大きく変動する時は「常識」が崩れる時で、昨日までよろしかったことが一夜明けたら非常識と、それほど極端ではないにせよ、新しい常識とかつての常識の狭間で翻弄されるものです。 結婚や男女交際も小さな世界ですが、大きな常識と非常識の対立を突きつけられるもので、思い起こせば面倒なことばかりです。理由をつけてそれを回避してきた結果40代が目前になってあわてたものでした。 就職の面談ならこちらの条件を突きつけて対価を金銭で補えばよいのですが、人と人との関係はそんな帳簿の上での簡潔は意味を成しません。ことあるごとに、こちらはこうだけど、あなたは?と、お互いの考えや意見の落としどころを見出していく作業の連続です。 「なるほど、結婚は若いうちにすべきだ」と感じるのは、自分自身を容易に変化させる柔軟性があったり、生半可な成功体験がないからつまらない執着もない。 反面、「年齢をまとって人生経験を積んでから結婚したほうが良い」と感じるのは、相手を受け止めるだけの度量が備わってきていることを発見した時です。どちらが良いのかはわかりませんが、どちらにしてもこっちの一方的な押し付けだけでは何も成り立たないということです。 私は中国人と結婚したことはないのでよくわかりませんが、傍から見ていると中国女性は「あなたは立派だ」と夫を立ててくれるように見えます。反面、この男は見込みがないと見抜くと掌を返したようになりますが、日中カップルが成り立ちやすいのもうなづけます。 ロシア女性の良くないところはこちらの自慢とするところをぶっ潰して、夫を持ち上げようなんてしないことで、こちらが自分で意識して大人になるしかありません。余計な干渉が少ないのは気が楽ですが、男性の甘えを許さないので女性に母親を求めるような男性には扱いにくいかもしれません。 日本も中国も男性と比べると女性は我慢が多い育ち方をしてきますが、ロシアは女性中心の家庭が当たり前です。涙をこらえて忍ぶ(耐える)女性が中国では絵になってもロシアでは絵になりません。わがままに育ってきた同士ですと引くことや我慢することを知りませんから衝突も多くなります。 ロシア人も中国人も日本の生活の中で非常識を散々やらかしてくれるもので、同じように私達も向こうでは非常識をやっているのでしょう。常識の使い分けができるまでは長い月日が必要でしょうが、幼い子供を育てるような長い視線が必要だと思います。 しつけが厳しい故に道を踏み外す子供がいるように、さじ加減は難しいものですが、時として人様に害を及ぼさない程度の非常識を飲み込む度量も必要で、怒りを笑いでこらえて、艱難汝を珠にする。 06.2/22 |