ナナカマド

 晩秋に真っ赤に染まる葉と実をつけるナナカマド。初冬の雪の中にナナカマドのみの赤い色は映えます。

 ロシアではたおやかなナナカマドが女性のイメージとして詩や文学の中に登場します。対して、男性のイメージとして出てくるのが硬くたくましい樫の木です。

 日本ではナナカマドというと感じや言葉の響きがあまりきれいではありませんし、七回竈にくべても燃えないなどと言われますが、焚き火に突っ込んだらよく燃えました。

 ロシア歌謡に出てくる”ナナカマド”が日本の歌詞に訳される時が”グミ”として訳されることが多いです。寒い高山に生えているナナカマドよりも人里に植えられているグミのほうがなじみやすいこともあるのでしょうし、音も二つで住みますから応用が利きます。ちなみに、グミの木を燃やすとどうなるか?便秘時のウンコのようなとてつもなく臭いにおいがします。昔はどこの家庭でも囲炉裏がありましたが、「グミの木だけは燃やすもんじゃない」といわれています。

 今日はナナカマドを唄った♪ウラルのグミの木♪♪小さいグミの木♪を紹介します、どちらも ヨーロッパ的な3拍子の曲で日本でもコーラスでよく歌われる歌です。

 ナナカマドは真っ赤な色が印象的ですが、以外にもその花は綿のような白い色をしています。夏になると山の中に小さな花たくさんつけたナナカマドを見ることができます。

 ふんわりとして柔らかそうな花で、なるほど女性的な花で、これが鮮やかな赤い実になるとはとても思えないほど大きく変化する木です。それでいて、寒さにめっぽう強い。

 氷点下50度−60度になる冬のシベリアで、樹木の中の水分が凍結してふくらみ、木の幹が裂けてしまう凍裂が起こる様な冬でも、か細い中低木のナナカマドは風に揺らぎながら冬を耐えています。

♪ウラルのグミの木♪

УРАЛЬСКАЯ РЯБИНУШКА.

ウラルのナナカマド

Вечер тихой песнею над рекой плывет.
Дальними зарницами светится завод.
Где-то поезд катится точками огня,
Где-то под рябинушкой парни ждут меня.

Ой, рябина кудрявая,
Белые цветы,
Ой, рябина, рябинушка,
Что взгрустнула ты?..

 

Лишь гудки певучие смолкнут над водой,
Я иду к рябинушке тропкою крутой.
Треплет под кудрявою ветер без конца
Справа кудри токаря, слева — кузнеца.

 

Кто из них желаннее, руку сжать кому?
Сердцем растревоженным так и не пойму…

Хоть ни в чем не схожие — оба хороши.
Милая рябинушка, сердцу подскажи.

Ой, рябина кудрявая,
Оба хороши,
Ой, рябина, рябинушка,
Сердцу подскажи!

川面を静かに夕暮れがせまる。

遠くの稲妻に工場が浮かび上がる

どこかで通り過ぎる汽車の窓明かりが走り去る

どこかのナナカマドの木の下では若者達が私を待つ

ああ、たわわに茂ったナナカマドよ、白い花よ

ああ、たわわに茂ったナナカマドよ、何を悲しんでいるの?

霧は白く大地を包み

鶴の歌と友の秋は去る

山の狭い小道を 三人で

ナナカマドの木の下まで歩いてきた

 繰り返し

どちらがすきなの?

なぜこんなに胸が苦しいの

どちらも勇気ある素敵な若者

かわいいナナカマドよそっと教えて

 繰り返し

1 川面静かに 歌流れ   夕べの道を ひとり行けば   遠く走る 汽車の窓光る   若者の待つ ぐみはゆれる   

(*)巻き毛のぐみよ 白い花よ ぐみよなぜに うなだれる 巻き毛のぐみよ 白い花よ ぐみよなぜに うなだれる

2 川面に夕霧 立ちそめて   家路を急ぐ 工場(こうば)の人   風にゆらぐ ぐみの葉かげ 若者ふたり われを待つ

(*)

3 鶴の歌に 秋は去り   霜は大地を 白く包む   ふたりの若者 今日もまた   ぐみの葉かげを われと行く

(*)

 日本で歌われている歌詞です。ナナカマドがぐみになっています。2人の若者が1人の女性に交際を申し込み、どちらにしようか?と悩む女性の心を歌った歌です。物語があって、若者は工場労働者と鍛冶屋だとロシアでは言われています。ロシア民謡ではなくソビエト歌謡です。老婆心ながら、二兎追おうもの一兎を得ず。余計なことですが。

 

♪小さいグミの木♪

Тонкая рябина

細きナナカマド

Что стоишь, качаясь, Тонкая рябина,
Головой склоняясь До самого тына?

А через дорогу За рекой широкой
Так же одиноко Дуб стоит высокий.

"Как бы мне, рябине, К дубу перебраться,
Я б тогда не стала Гнуться и качаться.

Тонкими ветвями Я б к нему прижалась
И с его листами День и ночь шепталась".

Но нельзя рябине К дубу перебраться,
Знать судьба такая - Век одной качаться.

なぜ揺れながらたっているの ひょろひょろしたナナカマドよ
頭をたれて 柵に触れそうになるまで

道を隔てたこちらでは 広い川の向こう岸に 
同じように一人ぼっちで 高い樫の木がそびえている

どうすればナナカマドは 樫の木のもとに行けるのかしら
それができるなら 私は揺れたり曲がったりしなくてもすむのに

細い枝で 私が彼にぴったりと寄り添えることができたなら
夏も冬も いつでも彼とささやきあうことができたなら

でもナナカマドにはできない 樫の木の元へ越えて行くことが
きっとみなしごの彼女は いつまでも一人ぼっちで揺れているだろう

1 なぜか揺れる 細きグミよ かしらうなだれ 思いこめて

2 広き川の 岸をへだて 高き(かし)の木 ひとり立てり

3 グミの想い 樫に伝えん わが身ふるわせ 語るときに

4 細き枝を 君によせて 日ごとささやく 若葉のこえ

5 グミの心 とどかざれど 永遠(とわ)の願いは やがて結ばん

6 なぜか揺れる 細きグミよ かしらうなだれ 思いこめて

 日本で歌われる歌詞でナナカマドがグミになっていることは”ウラルのグミの木”と同じで川面に立つナナカマドの木をモデルにしているところまでは同じですが、物語が大きく違います。二人の男性との間で揺れる女心を歌う現代的な”ウラルのグミの木”に対して、”小さなグミの木”はかなわぬ恋への悲しい物語です。

 川を隔てて向かい合う樫の木(男性)とナナカマドの木(女性)。ナナカマドは樫の木に寄り添いたくて幹をくねらせたり葉を延ばそうとしますが、間に隔たる川はとても大きな川。身寄りのない彼女は樫の木に寄り添うことはできずにいつまでも1人のままと、胸をかきむしるような結末になっています。日本で歌われる歌詞ではいつの日にか結ばれるだろうと希望が入っていますが、元の歌はどうにもできない悲しい恋の歌です。

 ジプシー民謡の旋律を取り込んだメロディーラインも、歌の内容もちょっと古風で、日本人の情緒を揺さぶる慈しみが沸いてくる歌ですね。

06.5/5