どこが?

 ”僕のどこが好きなの?”野暮な質問です。同様に”私のどこが好きなの?”と聞かれて”こことここ”とは答えられないでしょうし、簡単に答えられるようでは”良い友達”の段階かもしれません。

 なんだかわからないけれど好きになっていて、どうでもいいけれど何でも受け止められるようになっていて、結果的に結婚していたというのが国内外問わずに結婚の実情ではないでしょうか?

 分かれてみて方”ここは好きだったんだけど、この部分がマイナスで”と冷静に足し引きできるもので、上り坂の時にそんなことをやっているようでは、まだまだレッスンの状態。昔、20代のころ、先輩にそんなアドバイスを受けたことがありました。

 彼女のどこが魅力で、どんな条件が良くて、などと指折りリストアップできたものですが、人生の先輩に「そんなこと言っているうちはまだ結婚に耐えられる体力がついていないのだから、もっと人生経験積んだほうがいい。」と言われムカッときたものです。

 結果、その通りで、日に日にお互いがわかるにつれて相手も自分も小さくなっていってしまう思いがしました。

 押さば引けと引かば押せと柔道やっていたのですが、押して押して押しまくれ相撲道の方が女性には効果的みたいで、柔道かよりも相撲取りのほうがいいとこのお嬢さんと結婚してるもんなと、いまさらながら思い返しています。

 引けばこちらに寄ってくると思ったらとんでもない話で、引いたら女性も引いてしまいます。ロシア女性なんか引いたら最後、背中向けちゃいます。物理学的に言うと私の周りに強力な磁場が形成されていないからで、時間と女性は私の重力に引き寄せられることなく通り過ぎていくのでした。

 非婚化、晩婚化の背景には女性の経済的独立ばかりではなく、小利口になった現代人が孕む矛盾なのかもしれません。案外、やりたい一心で生命力任せに押しの一手でできちゃった結婚する若者の方が健全かもしれません。

 セーレン・キルケゴールもイマヌエル・カントも生涯独身でしたが、キルケゴールはベタぼれしたレギーネ・オルセンと言う女性がおり、婚約までしますが愛すれば愛するほどに自分が彼女を不幸にするのではないかと思い込み、婚約解消をします。それも自分から婚約婚約を申し出ては彼女が傷つくからと、娼婦と関係を持ったりして自分の悪評を作り彼女から婚約を破棄させています。生涯遠くからレギーネを愛し続けていたので、死の間際に「私が本当に愛した女性はレギーネだけだった」と言い残しています。

 カントは毎朝5時に起床し、著作、講義、散歩、食事、読書、就寝時間など時間を決めてそれを繰り返す規則正しい生活を生涯続けました。

 カントは2回ほど結婚を考えた相手がいましたが、長いこと考える性格で結論を出すまでに時間がかかるので、一人はカントが決断した時には既に別の男性と結婚して生活していましたし、もう1人はカントが決断した時には別の町に移り住んでいました。 結果としては当人は考えていたつもりだったのでしょうが、何も考えていないのと同じでした。

 「結婚とは配偶者による性器の独占的使用権」とカントは定義づけたものの、一度くらい結婚してからその言葉を吐いてみろ!言われればそれまでです。

 2人とも「哲学者」として名を成したからこうした逸話が残るものの、普通の人ならただの間抜けなバカ男で、キルケゴールなど無責任極まりない駄目男で終わってしまいます。

 個人的には読み物として生涯独身だったキルケゴールもカントもアンデルセンも好きなのですが、大人になりきれないひ弱さをペンでぬぐおうとしていた悲哀が感じられるからかもしれません。

 悪妻クサンチッペに苛め抜かれたソクラテス。毒杯を仰いで処刑されるときにも”このうるさい女をどっかに連れていってくれ!”とまで言い放ったにもかかわらず、”良妻をめとれば、幸せになれる。悪妻をめとれば、哲学者になれる。”の名言は重みを持ちます。

 ”どこが””なにが”、好きでいることにことに理由なんで大きな問題ではなくなるもので、原因や理由がわかったところで、”それからどうする”がなければ意味がありません。好きになったから必死に追いかける。そんな原点に立ち返ることが一番重要ではないでしょうか?

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06.1/9