チャイナ・マーケット
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ウラジオストクのチャイナマーケット。背後の建物がそれです。 ソビエト崩壊の流通混乱期だった90年代、モスクワから遠いウラジオストクは深刻な物不足に悩まされました。 一定の金額までは無税で物産を持ち込める船員特権があり、船員は特権を利用して日本や韓国から物資を買ってきて販売して財を成したものもいます。個人の自由市場が時代を支えました。 こういうことに目ざとい中国は中ロ国境に何箇所か経済特区を作り、そこに一般市民が商品買い付けに行くようになりました。 90年代末のウラジオストクには広い空き地に、露天の中国市場や韓国市場が作られ、直接商売に乗り込んでくる人たちがいました。現在、こうした市場は取り壊され、空き地にはアパートなどが建設されています。 |
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この2-3年であらかたの路上市場が消えましたが、市内に何箇所か自由市場の建物を建て、この中にテナントとして入って商取引をしています。同時に大きなスーパーマーケットも林立して、競争時代の突入しています。 ウラジオストクでは表面上はロシア人が働いているが、実際は中国資本の会社が少なくはないので、中国の影響は避けて通れないのが実情です。 かつての中国市場は中国商人自ら乗り込んできて、滞在期限ぎりぎりまで商売をしていたものですが、習慣の違いなどでトラブルが多かったり、治安悪化にも大きく影響していました。 今は資本と経営や商品の発送などを中国側で行い、ロシア人店員を雇って表向きの顔にすることで軋轢を避けているようにも見えます。 「期を見るに敏」にかけては日本人も遠く及ばない中国人のダイナミズム。タイムリーな商品をそろえることにかけてはロシア人は太刀打ちできません。 |
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上の写真の路上市場の頃は中国の製品をウラジオストクで売っているだけの時代でしたが、今はロシア人向けにデザインや色柄を取り揃えて乗り込んできます。 日本人の目にはどちらも強い色彩を好むように映りますが、好みはまったく異なります。 このところのハルビンを見ていると、衣料品にロシアデザインの影響が強くなってきたように見受けられますが、中国側もロシア人の色彩や造形意識を上手に取り入れています。 衣料品工場が見当たらないのにファッションデザイナーが成り立つウラジオストクの背景には、ロシア人にデザインさせて中国で作りロシアで売る中国資本の手法があります。 何から何まで日本式押し付けが通用しないことを最近は日本側も理解していますが、遊牧民的な発想と農耕民族的な発想の違いかもしれません。 |
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06.4/10 |