曖昧な日本語

 「おタバコのほう、お吸いになりますか?」ファミリーレストランに行ったら入口でいきなりウェイトレスさんに質問されて、”なるほど!これが今話題の言い回しか”と”〜のほう”が気になりだしました。

 「ドリンクバーのほうお付けしますか?」”あ!またここでも言った!”気になりだすと気になるものです。なんでも、接客マニュアルに、このような受け答えをするよう書かれているようで、こういった言い回しが”柔らかい言い方”だとでも思っているのだろうか?

 コンビニでおでんを買えば「お箸のほうは何膳お付けしますか?」、”ほ〜ここでも言ってるぞ!”。銀行に行けば「印鑑のほう預からせていただきますか?」なんと、銀行までも。

 ほー、ほー、って闇の世のミミズクじゃあるまいし、”てにおは”の基本の”〜は”、”〜を”が”〜のほう”に置き換わって、しかも性質の悪いことに”〜のほう”には無責任な曖昧さが多分に含まれているような気がします。

 「おタバコのほう」と「おタバコは」では答える側も決心の度合いが違うのではないでしょうか?”〜は”ではこちらも明確に答えなければと思いますが”〜のほう”と聞かれると、答えるにも曖昧な気持ちになってきます。

 角を立てないようにオブラートに包むような言い方だと思って使っているのでしょうが、タバコを吸う吸わない、コーヒーを飲む飲まない程度のことYes Noで明確にしても角は立たないでしょう。

 曖昧な日本語と言われますが、日本語が曖昧ではなく使う人が曖昧なんでしょうね。

 ”〜のほう”という言い回しは昔からあったと思いますが、だいたい、公に明言できないような会話に用いられていたもので、”お前さん夜の営みのほうはどうなんだい””そりゃもうあっちのほうは健在でして”なんてモザイクを入れた艶話なんぞに用いるもので、「お箸のほう」なんていわれると、”箸で何するんだ?”と想像してしまうのは落語にはまっているせいでしょうか?

 外国人が奇妙な日本語の流行り言葉などを使うと、恥部を見せつけられるような思いで、あまり気分が良いものではありません。できるだけ正しい日本語を使わねばと思ってはいるのですが、意識してしまうとかえって難しくなってしまいます。考え込むとわけがわからなくなってしまうので、日ごろからきれいな日本語を使うよう心がけていればそれで十分です。

 ボキャブラリーは多いにこしたことはありませんが、できるだけ簡素に伝えるように心がけることも大切だと思います。簡潔明瞭?のコラムでもエピソードを紹介しましたが、意味を持っているのか持っていないのかわからない言葉は多いものです。

 ストレートに物を言わないほうが良い日本文化の裏返しなんでしょうが、もっと基本的に意志にやり取りが必要な場では自分がどういう意図を持っているのか明確にしないと意味がありませんし、着飾った言葉の羅列で自己満足しても誤解を招くだけです。

 優しいということと優柔不断はまったく別物で、これは混同してはならないことだと思います。むしろ優柔不断は相手にあらぬ期待を持たせ誤解を招く元凶になるだけ「罪」だと思います。

 日本には優柔不断であることが処世術だった時代もありましたが、そういった時代は去りましたし、相手が外国となると「無責任」と受け止められるだけです。逆に、自分がそんなタイプの人間と出会ったら「信頼」なんてできませんよね。

 しばしば優柔不断な女性を「優しい」と勘違いしがちですが、この手合いは「ずるい」ので悔しい思いをした経験をお持ちの方は多いと思います。世の中曖昧な女性には寛容でも、男性にはそれが許されません。

 一足先にソビエト崩壊を迎えたロシアでは、自分の意志をいかように持つかが明暗を分ける死活問題です。意図を持たない人物が上に立つ組織は解体されましたし、優柔不断な人間は踏みつけられるだけです。

 意を決することは恐いことかもしれませんが、その後の努力で結果はどのようにも変わるものです。

06.1/23