順境・逆境
| ”順境には多くの恐れと不愉快がなくはない。逆境には喜びと希望がなくはない。” 英国のベーコンの言葉です。「大丈夫だろうか?」「不安でならない」と感じていられるのはまだ落ちることができる”順境”の中にいる状態でなのかもしれません。とことん落ちれば見上げるしかありません。 ソビエト崩壊後の経済・流通混乱期のロシア時代、テレビ報道などで物不足のために行列に並ぶ人々の光景などが報道されていたので、そんな先入観を持って出かけていきました。実際、商店に品物がない状態や、物資を買うための行列も少なからず目にしましたが、想像していた沈うつさはありませんでした。 「これ以上悪くなることはない」と開き直っている感じさえしましたが、考えてみればアフリカのようにきがで子供達が餓死しているわけでもなく、日常の文明生活を普通に営んでいるのですから、マスコミ報道が歪曲しすぎていると考えました。 その頃、日本も大寒波に見舞われた夏があり、米が大凶作になったことがありました。1993年です。農民に減反を押し付けていた食糧庁の管理能力が問われたり、このドサクサに外国からの米の輸入を認めたり、米の関しては激動の年でした。今頃の季節、日本でも米泥棒が相次ぎ、今まで培ってきた日本人のモラルに翳りが見えるようになりました。 阪神・淡路大震災や昨年の新潟地震などの天災がその後も日本を襲いましたが、災難に見舞われた人たちの冷静さと秩序を見ると、本当に逆境に追い込まれた人たちの強さを見る思いですが、やや傾いたときの甘えは人を弱くさせるようです。 東北地方の大凶作をメディアが誇大にあおり、この冷害がこの後も続くような報道をしていたために、農村には直接米を買いに来る人々が増えて、終戦直後以来のバブルが押し寄せました。米が投機の対象になったら世も末だと眺めていましたが、そうなりかねない加熱ぶりでした。 米がなくなる不安でパニックになるのはまだ”順境”にいたからで、まったく米が取れなかった農家などは「もう、笑うしかない」と、これが逆境でしょう。天明・天保の未曾有の大飢饉を私達の祖先は生き延びてきています。 1993年の夏は例外でしたが、秋は天候が良く秋野菜は豊作だったので、春になって九州方面の早場米が出てくれば米問題も終結すると言うのが農家の見方でしたが、日ごろ「米食ってくれ!」とキャンペーンしても見向きもしなかった人たちが、「米がなくなる」とパニックになっている姿を見て、自然を体感していない証左だとおかしくもありました。 私は1991年から米作りをしていますが、何しろサラリーマン生活の合間に手間かけないでいい加減な農業をしていたので、米のほうが勝手に実をつけてくれるような、稲の自主性に任せた駄農ですから例年凶作状態だったのですが、この凶作の年もよそ様の田んぼに実が入らない中、例年並みに収穫がありました。 順調に行く時もあれば思うようにならないときもあるものです。バブル景気のときはディスコのお立ち台で尻丸出しで踊り、凶作の時は「米がなくなる」と不安でパニックになる。”順境の美徳は節度である。逆境の美徳は忍耐である”同じくベーコンの言葉です。 ソビエト崩壊の時に一番大きな影響をこうむったのは、ソビエトのシステムの中で”順境”だった人たちで、それを喜ばない人たちが圧倒的に多かったことがソビエト崩壊、東側諸国の社会システムの崩壊を導いたようなものです。多少のごたごたや混乱はあったものの、国を二分するような内戦状態にもならず、時間はかかったけれど経済や流通の混乱をロシアは克服しました。 おそらく小さなことで揺らぐような人たちだったらとんでもない混乱になっていたことでしょうが、社会は揺れても動じない市民は波が収まるのを耐えて待っていたような気もします。 風はいつその向きを変えるのかわからないので歴史は生まれますが、耐えることとただ待つことは別物で、視点を持つか持たないかの違いでしょう。 長い道のり、いろいろありますが、つまらないことで動揺し取り乱さぬよう、目標をしっかり定めて家庭つくりをしてください。 05.10/10 |