潮流
| 今世紀はBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)の台頭の時代と呼ばれていますが、80年代末から90年代中ごろ90年代末に韓国や台湾、シンガポールなどNIESと呼ばれるアジア諸国の経済的な成長がありました。 90年代末に起こったアジア金融危機で経済破綻した韓国は、1997年1月に対、インドネシアに続いてIMF管理下に入り、財閥解体など大きな社会変化を余儀なくされました。2000年にはIMFの返済を済ませた韓国ですが、今は厳しい時代と言うことには変わりないようです。 「本土(半島)には大企業や働く先はたくさんあるけれど、企業が必要としているのは30代までで、それを過ぎると追い出されてしまうので50歳60歳まで安心して働ける仕事など公務員しかないんですよ。」ガイドをしてくれたキムさんの談です。 これもまた世界の潮流なのかな?とため息も出ますが、ソビエト崩壊の90年代を経験したロシアや、世界の工場と化した中国でも同様の傾向はあります。やがて日本も・・・でしょうか?基礎体力が違うので、これらの国ほど極端ではないでしょうが、多かれ少なかれその序章は始まっています。 会社と言う組織にぶら下がることが許されなくなった世界では、常に自分の能力を主張していかないと切り捨てられるので必至です。組織の中で勝ち抜いていくか、自立する道を選ぶか、いずれにしても安穏としていられないことは現実です。 90年代初頭には「もう日本から学ぶことがない、日本は今度は経済で韓国を併合しようとしている」と叫んでいましたが、そこから日本が一気に加速したのに比べて、韓国は足ふみをし、90年代半ばには「日本は先端技術を出し惜しみする」と身勝手なことを言っていた覚えがあります。 偉くなると何もしない。韓国と中国には似たような習慣がありますが、自分の地位を守るために下の者に技術を教えることもしない、伸びてきそうな芽は摘み取る。内々の問題でしたらそれでも良かったのでしょうが、「国際」を舞台にするとその習慣はマイナス要因以外の何物でもなかったことがはっきりしてしまいました。 結果的に保身が身を滅ぼす時代を迎えてしまったわけですが、海の向こうで日本の衆議院選挙速報を眺めながら日本も世代交代が始まっていることを感じました。 鈴々舎 馬風の落語「会長への道」は、落語協会の重鎮が次々と亡くなって、自分が落語協会の会長の座を射止めるまでの話ですが、そうやって上が死ぬのを待っていると自分の番が来るまでに100年かかってしまうという落ちです。 選挙速報を見ながら、「中二階」と呼ばれた人たちが順番待ちしていたら梯子をはずされたと思いましたし、もはや今までのままでは”これから”を乗り切れないのだなと国民が気づいているのだなと感じたものです。 こんなことを書くと、40代以上は八方塞に思えてしまいますが、「人生経験」と言うのは決して無駄ではありません。私達には「分別」と言う経験の積み重ねから生まれる大きな力があります。「分別」や「秩序」を保身のために利用したら閉塞してしまいますが、舵取りは分別のなせる業です。 世界は途上国の暴走には寛容でも、先進国の暴走には敏感です。先進国=人生経験の長、と考えればやはり”分別”が暗黙のうちに求められているのでしょうね。その上でさらに伸びなければならないのは厳しいことですが、多様な角度から物事を見る目を持ち理解できるのが大人の条件とすれば、国家も国民も成長の道のりを歩いているんですね。 時代は”What?”から”How?”に移行し、どうすれば目的に進めるのか模索することが多くなりますが、”人生経験”はその術を複数身につけているものです。これはすばらしい魅力ではないでしょうか? 国際カップルに限ったことではありませんが、生きてきた環境の違いから暗礁に乗り上げて「何で?」と相手を責めたくなることはしばしばあるものですが、「どうやって?」次のステップに踏みあがるか、こうした道筋を提示できるのは”経験”や”分別”のなせる業ではないでしょうか? 05.9/17 |
世界GDPランキング(2003年)
(出所:世界銀行) |