地方から
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広大な”地方”を抱えるハバロフスクと比べると、ウラジオストクの沿海州は範囲が狭いです。それでも、”地方”から”都市部”に仕事を求めて流れてくる人が少なくありません。 90年代中ごろまでは国が行く先や勤務先を決めてくれましたが、現在は自分の力と自分の責任で仕事を探さなければなりません。 地方からウラジオストクに出てきてまず直面することは「住む家」で、ソビエト時代のように国や勤務先が住む場所まで面倒を見てくれません。多くの労働者は親戚や先に乗り込んできている友人を頼り、間借りをしながら生活の足場を固めます。 日本と比べると家賃は安いのですが、収入も安いので生活に大きな影響を与えることは同じです。複数の中間達と一つの部屋を借りて生活する人も多く、ギリギリの生活をしながら飛躍するチャンスを待っています。 生活も余計なものがないだけで、必要なものはだいたいそろっているので「何が十分?」を満たしていると思います。 |
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一度就職をしてしまえば後は安泰かと言うと大間違いで、その中で競争があり、成績などが問われます。 就業形態も日本の感覚では理解しがたいものも多く、商店の店員などは1週間働き1週間休むことでワークシェアリングしていたり、ホテルなどまる一日勤務して翌日がまる一日休みなど、条件としてはハードです。 成績が上がらなければクビになることもありますし、転職を繰り返しながらキャリアアップしていく人や、スキルを身につけて独立するも多く、同じ職場に長い間勤務するすることは容易ではありません。 「集団就職」なんて言葉があった昭和30年代から40年代初頭の日本を思い浮かべるような時代かもしれません。 |
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ウラジオストクの人口は減少していますが、少子化の影響ばかりではありません。モスクワやシベリア内陸のオイル景気を追って出て行く人も多いですし、ウラジオストクに移住させられる前のふるさとに帰る人も少なくないようです。年金生活者なども物価の高いウラジオストクを離れて、郊外の農村に引っ越す例も少なくないそうです。 子供達が結婚したら両親だけで生活するに十分なアパートに引っ越してしまう家族も多く、家のハードよりも家庭のソフトを重視する家庭も多いです。もちろん派手な人はとことん派手ですが、価値観は個人それぞれのものですし、自分に会う価値観を持った人が最終的には残るものです。 ウラジオストク在住の友人が言うには、地方から働きに来た人たちの半数以上は2−3年で故郷に帰ってしまうそうで、他の街に行く人を加えれば3人に1人くらいしかウラジオストクに残らないだろうと、その厳しさを語っていました。 甘い考えでは生き抜いていけないことはウラジオストクも日本も同じで、自分の心の持ち方次第でしょう。漠然とウラジオストクに行けば何とかなると思って地方から出てくる若者は、当然のように都会の闇に飲まれてしまいますが、その闇もまた地方の打算が生み出したものです。 気持ちのしっかりした人物は目つきにも表れますし、良い目をした人材は美しく見えるものです。磨けば光る逸材は目を見て感じてください。 |