父は暴君

 母親中心が多いロシアの家庭では父親の影が薄く感じられます。でも、可憐なロシア娘の背後にはヒグマのようないかつい父親がついていて、「娘を不幸にしたら金閣湾に沈めてやる!」と 護っています。

 娘を溺愛している父親も多く、あの大粛清で知られる暴君ヨシフ・スターリン(本名ヨシフ・ビサリオノヴィッチ・ジュガシビリ)もそうでした。恐怖政治を行い最後には自分の家族さえ信用できなくなるようなスターリン。家庭の父親としての一面はあまり知られていません。

 スターリンは最初の妻との間にヤーコフという息子がいました。冷酷な父親のために不遇な生涯を送った息子でした。1928年にピストル自殺未遂で怪我をしたヤーコフにスターリンは「まっすぐ撃つ事もできんのか!」と一言。

 1941年にヤーコフはドイツ軍の捕虜になりますが、父スターリンは捕虜の引渡しに応じないどころか、ユダヤ人だったヤーコフの妻を捕らえて収容所送りにしてしまいます。

 一番左がスターリンの次男ワシリー、真ん中の少女が娘のスベトラーナ、右が最初の妻との間にできた長男ヤーコフ
 長男のヤーコフは捕虜となったドイツの収容所で高圧電流が流れる柵に身を投じて自殺したと言われています。

 スターリンの次男ワシリーも空軍の航空ショーでの事故の責任を取らされ解任。

 スターリンの二度目の妻はナージャも粛清を苦にピストル自殺しています。スターリンのような男が家庭の愛情に恵まれるはずもありませんが、スターリンには目の中に入れても痛くないほどかわいがっている娘、スベトラーナがいました。

 こんな父親を持つ娘のボーイフレンドはさぞかし大変でしょうと想像つくかもしれませんが、スベトラーナが16歳の時に出会ったボーイフレンドは英国のスパイの容疑をかけられ5年間収容所送りになっています。まさに恋をするにも命がけです。

 溺愛する娘も年とともに次第に親離れするもので、1944年に結婚してしまいますが、スターリンはこの結婚を許せずあれやこれやと圧力をかけて離婚させてしまいます。

 その後スベトラーナは2度目の結婚をして子供もうまれましたが、スターリンの死後、「父は孤独感と絶望感から来る弾圧マニアだった」の言葉を残しアメリカに亡命してしまいました。

 ロシア人のスターリンに対する恨みつらみがいかばかりか、ソビエト崩壊の際に真っ先に姿を消したのはスターリンの肖像画でしたし、モスクワのレーニン廟に安置されていたスターリンの遺体は市民らに引きずり出され燃やされています。

 ロシア人にとって唯一の救いは、スターリンがロシア人ではなくグルジア人だったことで、同時代にヒトラーや毛沢東という暴君が存在してことでしょう。ヒトラーのユダヤ人に対する虐殺は戦争の過程の中で起きていたので広く世界に知られ検証されていますが、スターリンの大粛清や毛沢東の蛮行は戦勝国の内政問題のようになっているので表に出にくい問題になっています。USAの沖縄戦線や広島・長崎に対する原爆問題もしかりです。

 さておき、「娘に近づく男は敵!」と目を光らすのは世の父親の常かもしれません。今の時代、収容所送り、強制労働になるようなことはまずありませんからご心配なさらないで、正々堂々と「娘さんとお付き合いを」とヒグマと向かい合ってください。海に沈められてカニの餌になっても、日本はロシアからカニを輸入していますから、身は鍋に魂は日本に帰ってこられますので、明るく建設的にお父さんと接しましょう。

05.8/14