船員特権

 ソビエト崩壊後90年代には流通混乱でロシア各地が物不足に見舞われました。パンや食料、衣料品や生活物資を積んだ貨物列車やトラックなどはモスクワを中心に東へと運ばれてくるのですが、その列車がストップしたままターミナルに放置されていたり、労働者達が職場を放棄していなくなってしまったり、一つの強靭な体制が崩壊した後の反動がロシア各地に巻き起こりました。

 モスクワから最も遠い極東の町、ウラジオストクにもその余波は極端に訪れました。モスクワは当てにならないと判断した市民が物資の調達先として目をつけたのが日本や韓国中国などの隣接する諸外国です。

 運び屋のコラムで紹介したように、キルピッチと呼ばれる中国国境近くの町に買い出しに行く市民が新しいビジネスとして出現し、ウラジオストクはもとよりハバロフスクや黒河の対岸のブラゴベシチェンスクなどの町は中国との交易の拠点になりました。

 数年前まではウラジオストク市内に”韓国市場”や”中国市場”と呼ばれる青空市場があり、それらの国から来た商人が滞在期間を最大限利用して商品販売をしていました。 

 運び屋と言うビジネスが成り立ったのも、中国人はいちどロシアに入国すると半年間は再入国できない規制があったため、何回でも中国に入国できるロシア人が中国に足を運び、ロシア国内の中国人商人に荷物を届けることで料金をもらう法の網の目をくぐるような発想から始まったビジネスでした。

 ”悪法も法なり”ではありませんが、生活を前にすればなりふり構うことはできません。

 こうした個人交易には各国へ出かける船員が運んでくる物資も大きな役割をにないました。当時は船員特権と言う制度があり、時期によって違いますが、だいたい5〜15万円程度の品物なら無税でロシア国内に持ち込める制度があり、日本などに出向いてきた船員が電化製品や中古自動車を買い込んでロシアに持ち帰ることができました。こうした特権を利用して船員から事業家にのし上がった人も多いです。

 当時船員特権を利用して個人貿易にいそしんでいた知り合いが言うには、就職するにも船員の競争率は極めて高く、彼など海運会社からほとんど給料らしきものはなかったそうですが、個人貿易で思い切り利ざやを稼いでいたのでそれでも十分やっていける職業だったそうです。

 ウラジオストクやナホトカなどの港は日本との個人貿易の拠点でもありました。魚介類の拠点ナホトカから北海道などに海産物を運び、その帰りに日本から中古車や建設資材などを持ち帰り、シベリア鉄道で各地へ輸送する。こんな大掛かりなことまで個人でやっている船員もいました。

 中古自動車の個人輸入に関する法律は頻繁に変わり、現在では製造から7年以上経過した中古車には高額な税金がかけられることもありあまり目立たなくなってきましたが、個人で自分用の自動車を日本に買いに来る市民もいます。

 船員特権を利用して個人貿易をしていた人たちも、いつまでもそれにぶら下がってはおらず、早々に自分で起業する人もいれば、早めに足を洗うものも多かったようです。その理由の一つには中古車貿易にはマフィアが絡んでいたために、それを嫌う人たちは早々に手を引きましたし、プーチン政権になってからは規制や取り締まりも厳しくなったのであまり良い仕事ではなくなり、今では細々と船員の副業程度になってしまいました。

 が、流通混乱で混迷した一つの時代をすくったのはこうした個人のアイデアで、時代の波の中で生まれたものはやがて時代の波の中で消えていきます。