惨事
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ロンドンの同時多発テロに関するニュースが世界を飛び交っています。イスラムテロリストの犯行説、あるいはIRAテロリストの犯行説、いろいろ意見が錯綜しています。 同規模の爆破テロがもはや珍しくもなくなってしまったモスクワ。ロンドン同様多数の民間人が巻き添えのように死傷しているのに、モスクワのテロ事件に関して日本の視線は冷ややかだなと感じます。 「惨事」なのか「事故」なのかは感情移入の問題で、ソ連時代のアネグドートにこんな話があります。 ”橋を渡っていた牛の群れが川に落ちて死んだら惨事だ。でもソ連の役人を乗せた飛行機が墜落したら、惨事ではなく事故だ。” 私はウラジオストクと関わるようになってからロシアで起こった事件だけでも、モスクワのアパート爆破事件、原子力潜水艦沈没事件、地下鉄爆破事件、劇場占拠事件、北オセチアの学校占拠事件etc。血なまぐさい事件はたくさん起きています。 ある時は純然たる事故であったり、チェチェンゲリラの犯行、ロシアのネオナチズム一派による犯行など要因はそれぞれ違いますが、蚊帳の外のウラジオストクではきわめて冷ややかにこうした事件を見ています。 ロシアの報道も事実の紹介だけで、日本のマスメディアのように感情移入して”惨劇”に仕立て上げないので、余計に冷たく冷静に報道されているように感じます。 ロシアはおろか旧ソ連各地からの移民の寄せ集めのウラジオストクですから、事件が起こった地域にゆかりある人たちも少なくないでしょう。それでも冷ややかに見ています。 近年をとっても、アフガンやチェチェン紛争に兵士として出向き、命を落としたものの家族はウラジオストクでも少なくはありません。当人たちにとっては”惨事”でも、次は自分の番かもしれない人たちにとっては、いちいち感情移入していられないのでしょうか?被害にあった人たちの同情するよりも、自分が被害にあわないためにはどうすればよいか考える。こちらが先決のようです。 「私たちにとって一番の”惨事”はこの国に生まれたこと」かつてのロシアならそう言っていたでしょう。案外、自分たちに関係ないからと”惨事”に仕立てて悲劇のドラマを楽しんでいるのが日本人なのかもしれません。 私たちは”身の危険”に対して鈍感になっていますので、惨劇の現場などに出くわすと興味本位で覗きたがるものですが、”君子危うきに近寄らず”。クワバラクワバラと関わらないで立ち去るのが一番の安全策。 |