日本人

 エアガン発砲事件や毎日のようにニュースをにぎわす陰惨な事件。日本の治安は悪化の一途をたどっているように思われますが、世界的に見ればまだまだ安全そのものです。

 確かに、許せないような悪党が増えてきていますが、大方の日本人は他人に危害を加えてまで自分の欲求を満たそうなんてしない自制心を持っています。

 繁華街に行けば泥酔した酔っ払いがいても不思議ではありませんし、夜、女性が一人で出かけても大して気にかけることもありません。だいたい、仕事帰りの普通の女性が酔っ払って千鳥足で繁華街を歩ける国など他にはないと思います。

 取り締まる側への規制が多く無頼漢への対応に当局が苦慮するような法制度であるにもかかわらず、秩序が維持できるのは個人個人の意識が高いレベルだからで、これは誇るべきことだと思います。(驕ってはなりません)

 近頃起きたパキスタンの地震の様子を見ても、支援物資の取り合いや独り占めが相次いでいるのに、阪神・大阪の震災や新潟の大地震でも、被災者がさらに困難に陥っている被災者を優先していました。「自己抑制」や「自己犠牲」が日本人の美徳なんだなぁとしみじみ思ったものでした。

 帝政ロシアの時代から日本への興味が高かったロシアですが、柔道、剣道、空手など日本の武道の人気も高く、こうした道場に子供を通わせる親も多いです。

 単にスポーツだけではなく、精神修養としての日本の武道を評価してくれるところが、他の国とロシアが異なるところだと思います。

 宮本武蔵の「五輪の書」や新渡戸稲造の「武士道」を呼んだことがある日本人は少ないと思いますが、ロシアでは人気がある書物です。

 それはそれでありがたいことですが、このような高潔さを求められるとこちらも困ってしまいますし、向こうも失望することでしょう。が、期待にはこたえられないものの、近づくよう努力はすべきでしょうし、評価してもらいたい部分です。

 10年近く昔のことですが、ソビエト崩壊後の経済混乱期のウラジオストクで、貨物船で日本を往来していた船員が、日本式のサービスを取り入れた自動車部品販売店を築いて成功し、一躍注目されたことがありました。店の名前は”Bushi”。

 一躍時の人となったようですが、その後この経営者が殺されたと言う話を聞来ました。真意のほどは定かではありませんが、これもまたロシアです。友人が言うには「彼はグルジア人ですから、私達には関係ありません」。

 「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である 」の書き出しで始まる新渡戸稲造の武士道は1899年に英文で発表されていますが、その83年前に日本で囚われに身になったロシアの将校が書いた幽囚の記録がヨーロッパに日本を知らしめることになりました。「日本幽囚記」と言う本です。

 1811年世界周航の途中にあったロシアの軍艦ディアナ号が国後沖で松前藩に捕らえられるディアナ号事件が起きました。

 船長のワシーリー・ミハイロビッチ・ゴローニン中将派は松前藩に囚われの身になり2年間3ヶ月を日本(函館)で過ごします。

 ゴローニンは囚人と言う立場から日本を見ていたにもかかわらず、日本に対して好意的にかつ鋭く観察をしていました。勤勉で高潔な日本人の性格を評して「将来必ず大発展をする国民だ」と、当時ヨーロッパのどこの国も思いもしなかった極東の蛮国を高く評価しました。

 貴族の出身で英国留学経験を持つ教養人だったゴローニンの元へ、各地から蘭学者や幕府通詞が集まり、その中には「おろしや国酔夢譚」の大黒光太夫からロシア語を学んだオランダ語通詞の馬場佐十郎などもいました。馬場佐十郎は後に「魯語」と言う露和辞典を編さんしています。ロシア語−フランス語−オランダ語−日本語と言う過程を経てロシア語が日本語に訳されたようですが、当時のロシア貴族はフランス語を喋ることがステータスでした。

 ロシアを漂流した大黒光太夫のロシア語は単語程度だったそうですが、松前藩から派遣されてきた村上貞助などは難解な文法まで含めて、短期間にロシア語を習得してしまったそうです。末端の庶民に至るまでその礼儀正しさや秩序正しさにも感銘を受けたようです。

 毎日熱心にゴローニンの元へ尋ねてくる探究心の旺盛な日本人に時には閉口しながら親睦を深め、釈放されて帰国する時には自分が持ってきた書物などを寄贈して帰っています。

 ゴローニンは釈放後に日本での抑留経験を綴った『日本幽囚記 』(日本では岩波文庫で出版されていた)を発表し、ヨーロッパでは各国の言葉に翻訳してベストセラーになりました。「知られざる日本」がヨーロッパ世界に向けて発信された重要なポイントを握る本でした。

 ドイツの詩人はハイネは「日本のことを知りたければ「日本幽囚記」を読めと友人に薦めていますし、幕末に日本へやってきたペリーやプチャーチンもこの本を読んで日本への予備知識を蓄えたと言われています。

 この本によって日本人の勤勉さや向上心・高潔さもヨーロッパに知られることになりました。

05.10/15