一歩

 まだ30代になったばかりの頃でしたが、オートバイで秋田にツーリングに行ってユースホステルに泊まった時のことです。何で、ユースホステル何回の泊まるかと言えば「健全な女性との出会い」以外の何物でもありません。

 バブルの余波が押し寄せている時代、ディスコのお立ち台で半分ケツ出して羽根つきの扇子振り回している無節操な娘がもてはやされた時代、清楚で慎ましい淑女に出会おうと思えばユースホステルではなかろうか?などと考えていました。

 泊まりに行くにもカップで、食事を食堂で一斉にとるペンションなどが敬遠されるようになってきたご時勢ですので、独り身の男性にとって出会いの場は少なくなっていくばかりでした。

 ユースには数人の女性宿泊者がいて、お話もでき親しく離れたのですが、そこから一歩が踏み出せませんでした。

 それとなく、自称昔は飽きた美人だったユースのおばちゃんに「彼女は私のこと気に入ってくれているんでしょうかね?」と聞いたら、「だからあんた達は駄目なんだよ!」と怒られました。

 どんなに強くなっても女性は女性、受身なんだから、男のほうからアタックしていかなければ何も道も開けない。それなのに最近の男どもときたら、自分がどう思うかを隠してまず相手の腹を探ろうとする。その女々しさが駄目なんだよ!

 人生の先達に延々説教されてしまいました。だって、怖いでしょ。もしふられたら悲しいし、簡単に立ち直れないし、と、腹のうちでは思っていても口にはできませんでした。最初の一歩が踏み出せないので、ここをおばちゃんに頼ろうとした下心を見抜かれた思いでした。

 相手のことなど何も考えていない自己中心の表れだったのでしょうが、どんなに外面を飾ろうが、卑屈だったなぁと今にして思っています。

 世渡りの上手な奴らよりも踏みつけられたぶん奥深いんだぞ!と言う自身はあったのですが、そこに触れてもらえるまでの道のりで頓挫してしまうのが今までの人生。きっと、どこかしら卑屈な自己中心がにじんでいたのだろうなと思います。

 そのことを再認識したのもロシア女性と接する道のりの中で、アクティブなロシア女性も結婚に関しては「受身」で、一押二押し三に押しがなければ成り立たないんですね。水戸黄門のように菊のご門のパスポートを突き出せば言うことを聞くなんて大間違いもはなはだしいことで、この安易な打算から脱却できない男性は撃沈していくのみです。

 当然のことで、きっかけにはなっても、人間が障害を共にするための絆はお互いの「信頼感」や「人格の尊敬」です。紙切れに書き記せるような薄っぺらい物は何の役にも立ちません。

 「結婚難」の時代と呼ばれる日本。余計な枝葉が増えすぎて幹の部分が見えなくなっているのかもしれません。枝葉だけを見て結婚に踏み切れる人はそれでも良いのでしょうが、その奥の幹の大切さをうすうす感じているから、枝葉が立派でもやがては枯れ落ちることを察しているので踏み切れないのかもしれません。

 虚飾を拝して素朴に見れば、しっかりした根を持ち虫に食われていない幹が見えてくるのでしょうが、自分が作り上げてきたものを否定することもまたつらいものです。

 こうしたジレンマを抱えながら皆さん日々奮闘しておられることともいます。「悩み」は相反する「答え」が見えていて、どちらにも納得できない時に生まれるものですが、「正解」は一つではないのが人生の面白さで、その後の努力でどちらを選んでも「正解」と言うことはよくあるものです。いつまで行っても道の途上です。

 恋愛や結婚に限らず仕事でも「明日はもっと良くなる」と気持ちを落とさないようにしていれば、本当に良くなるものです。

 最初の一歩を踏み出すことはとても勇気がいることですが、道はそこから開けます。

05.9/14