バルカンの星の下で

 第二次大戦の真っ只中1944年、ソビエトはブルガリアに侵攻しました。ブルガリアは東側諸国だったのに、何でブルガリアなどに侵攻したのかと不思議に思う方もおられると思いますが、この時代のブルガリアはナチスドイツの影響下にありました。

 そのために国連の敵国条項にも日本、ドイツと並んでルーマニア・ブルガリア・ハンガリー・フィンランド(イタリアは途中で寝返った)が枢軸国として並んでいます。

 1944年9月9日、ソビエトによってブルガリアはヒトラーから解放されたものの、四十数年間ソビエトに縛られることになります。それだもの、ロシアのことを良くは思っていないわけです。

 バルカン半島に赴くソビエト兵士のために作られた歌が♪バルカンの星の下で♪(MP3)作詞は日本でもおなじみのともしびの作詞者イサコフスキーと言われています。作曲はカチューシャを作曲したブランテルです。

Где ж вы, где ж вы, очи карие
Где ж ты, мой родимый край?
Впереди - страна Болгария,
Позади - река Дунай.
 
Много верст в походах пройдено
По земле и по воде,
Но любимой нашей Родины
Не забыли мы нигде!
 
И под звездами Балканскими
Вспоминаем неспроста
Ярославские, рязанские
Да смоленские места.
 
Вспоминаем очи карие,
Тихий говор, звонкий смех.
Хороша страна Болгария,
А Россия лучше всех!
黒い瞳はどこへ
遠い故郷はどこへ
遥かブルガリア
ここはドナウの彼方

幾山川を越え
はるばると
愛しい故郷を 
忘れられようか

遥かバルカンの
星の下で
われらが故郷を
夢に見る

黒い瞳よ
静かな語らいよ
何にもまして
恋しい故郷ロシア
 この歌を歌いながらソビエト軍はブルガリアに踏み込んでいきました。いわば軍歌です。

 3−40年前の日本では「反戦」を旗頭にした人たちがロシア民謡を好んで合唱していましたが、その多くはソビエト歌謡呼ばれる歌で、さらにそのソビエト歌謡の中の多くは軍歌でした。

 ”麦と兵隊”や”若鷲の歌”は否定しても”ともしび”や”カチューシャ”は疑いもせずに受け入れていました。これらの歌は日本で言うなら戦地に夫や恋人を送り出す”銃後の妻”の歌なのですが、メロディーも詞もロマンチックですから、戦争に対しての日本人とロシア人の感性の違いかもしれません。

 ソビエトによってブルガリアが開放される一ヶ月前の1944年8月15日、バルカンの小さな町イスクレッツ一人の娘が生まれます。後に”アイドルを探せ”やなどの大ヒット曲を飛ばし、フレンチポップスの歌姫と呼ばれるシルヴィー・バルタンです。父親はフランス人、母親はハンガリー人です。

 たまたま彼女が日本でコンサートを開いている時に名前をいただいてしまったのが、ウルトラマンの宿敵バルタン星人です。

 ベルリンの壁崩壊に始まる東側の混乱期に、シルヴィー・バルタンは生まれ故郷のブルガリア支援のために国連大使として活躍しています。

 複数の故郷を持つ者の勤めかもしれませんが、シルヴィー・バルタンが生まれ故郷のブルガリアをモチーフに作詞したと言われる”思い出のマリアッツァ”は名曲です。

05.10/24