秋
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秋の夜長、物思いの秋、芸術の秋、読書の秋。日本に「秋」は自分の内面に向かい合う季節のようです。日本は学校や仕事などは4月に新年度を迎えるのが当たり前ですが、ロシアの場合あえて言うなら9月でしょう。 ロシアの秋はいろいろと忙しい季節で、農家なら収穫の最盛期ですし、一般家庭でも郊外のダーチャ(家庭菜園)で野菜などを収穫し冬に備える準備をします。 貨物船やタンカーの船乗りなら北極海が凍結する前の最後の一仕事で、微妙な気候の変化の見極めや駆け引きなど一番多忙な季節かもしれません。 一歩間違えば船が北極海の氷の中に夏のちょっと前まで閉じ込められるのですから悠長なことは言っていられません。 ウラジオストクの広場では週末になると市場が開かれ、冬に必要な食材などを確保する人たちが山のような荷物を持って闊歩しています。 程なく厳しい冬に閉じ込められるのですから、秋はのんびり物思いになどふけっている季節ではありません。秋にどれだけ働いたかで冬の生活が決まるようなものですからあわただしい季節のようです。 トルストイやドストエフスキーに代表されるように、ロシアの文学には長編ものが多いのですが、長い冬があればこそ、長編小説もよき冬の友になるのでしょう。 レフ・トルストイの”戦争と平和”など三人の男女がくっついたり離れたりする恋愛小説として読むこともできますし、ナポレオン戦争の叙事詩として読むこともできます。登場人物だけで何百人も出てくる、くどくて読み込むことが難しい物語ですが、長い冬に2度3度と読み返すようです。 五・七・五の17の音に世界感を凝縮させる俳句を持つ日本と、これでもか!と言わんばかりの長い小説を読みこなせる体力を持つロシア人。 事柄の重要なポイントを鋭利な刃物で切り取ったような俳句と、外堀から覆って行き最後に空白となった重要な部分を見つけさせるような長編小説。 俳句が少ない言葉から自らのイマジネーションで世界感を広げていくのにたいして、長編小説は長い物語の中から凝縮してイマジネーションを作り上げるようで、求められる感性も微妙に異なるように思えます。 秋の日はつるべ落としどころか、脳天にアンディー・フグの踵落しを食らうようなもので、緯度の高い地方ではこれから冬至に向かって急激に日照時間が短くなり、一日のほとんどが夜になる季節です。わずかばかりの昼間にやらなければならないことは山積みです。 何事ものんびり構えているロシア人ですが、生き生きと活動的な季節があるとすれば秋かもしれません。 05.10/27 |