ロシア的憂鬱

 ロシア人の魅力を語るとき「ロシア的憂鬱」と言う表現が使われます。漂泊の民ロマの旋律をたぶんに含むロシアの音楽など独特の引きずるような哀愁があり、同じヨーロッパでもドイツやウィーンの華やかなワルツや、イタリアの抜けるように明るいベルカント唱法とも、ポーランドのポルカのように軽快でもなく、陰音階の旋律は外に発散するよりも内に蓄えるような重さを持っています。

 この「ロシア的憂鬱」と日本の「情緒」が微妙に絡み合うような気がして、日本人がロシア人やロシアを受け入れやすい秘密があるように思えます。

 USAで満開の桜を見たことがあります。ソメイヨシノでした。正直者のワシントンに切り倒されなかった桜があったのかと感心すると共に、明るく影のない健康的な桜の景色に情緒を感じずに違和感を感じました。

 以来、情緒あふれる日本の桜はどことなく不健康で、梶井基次郎が「桜の木の下には死体が埋まっているんだよ」と語るグロテスクな話も納得できるような思いがしています。桜の花の魅力は日の光が当たる部分よりも光の影の花にあって、そのコントラストが美しいのでは?と写真を撮るときに考えています。

 ロシア人の目つきには日陰の桜のような暗さがあり、これがロシア的憂鬱だろうか?と考えたりしています。能面のような日本人と比べると、感情によって顔の表情が大きく変わるロシア人ですが、目の表情はあまり変化がありません。

 私たちが外国で言葉を聞く前になんとなく中国人や韓国人と日本人の見分けがつくように、ロシア人が外国に出てロシア人を見分けるとき、服装や体型はもとより、目つきで見分けがつくそうです。

 そういえば、USAで在住日本人と日系人の違いがなんとなく目つきでわかったものです。日系人は目に表情が乏しく、大リーグで活躍しているイチローのようなクールな目つきが印象的でした。

 日本人はどちらかと言うと相手の目つきや目線で心中を探ろうとするので、顔の表情と目つきの落差に戸惑うこともあります。ぬくもりの感じられない目に戸惑いながらも惹きこまれて行くのですからやはり魅力なんでしょう。陽だまりのような明るさも人を惹き付けますが、ネガティブな魅力も人を虜にします。

 何を考えているのか察しきれないのでまた惹き込まれてしまうのですが、実際は何も考えていないようです。考えていればもう少しましな国になっていたはずです。

 初めてロシアに行った日本人が感じる不安で彼らの表情の冷たさは大きいのではなかろうかと思います。おいそれと立ち入れない距離感を感じるものです。それでも、距離感が縮まってくるとこうした危惧は薄れてくるものです。ポイントはこちらから手を差し伸べることです。

 ロシア的憂鬱と日本的情緒、後に引かれるような魅力の共通点ですが、どちらも前向きなものではありません。アクティブに日々を暮らし時折情緒に心を解放し、使い分けながら良い関係を作れたら嬉しいです。

05.1/13