駐留軍
| 東西冷戦終結を象徴するベルリンの壁の撤廃は1989年11月9日のことで、東西ドイツ統一達成は1990年10月3日です。ドイツ統合後も38万人のソ連軍が旧東ドイツに駐留しており、それと同数の連合国軍が旧西ドイツ二駐留していました。
ロシア兵がドイツ国内から撤退するのは1994年8月31日のことです。その後、戦勝国連合軍を説得して軍を撤退させます。 戦乱の歴史を誇るヨーロッパでは、国内に駐留する外国軍の兵が撤退するのは武力行使で追い出すのが今までの通例ですが、ドイツはロシア軍をしたたかに「お引取り」してもらっています。 ロシア人いわく、ドイツは感謝の意を込めて行進曲を演奏してロシア軍を送り出してくれた。と自慢していますが、そう思い込むのはお人よしのロシア人らしい発想でしょう。絶対感謝なんかしていないと思いますが、これほどきれいにスムーズに駐留外国軍を引き上げさせたのは、ヨーロッパ史上に残る快挙だと思います。 東ドイツの限らず衛星国と呼ばれた東欧各地にソ連軍が駐留しており、これがソ連の財政を圧迫することにもつながりました。ソビエト崩壊後のロシアも必要以上に多くの兵士を抱える余力はなく、冷戦崩壊後はそれらの国から撤退してきた兵士たちは次々と失業者になりました。 こうした失業兵士たちが立ち上げた企業にはマフィアと呼ばれる法を無視した企業がたくさんあり、エリツィン時代のロシアを支えていました。ロシア人の言うマフィアは私たちの感覚と違う部分もあり、事業の成功者や成金の果てまでマフィアに分類されてしまいます。 ベルリンの壁撤廃をウラジオストクの友人に言わせれば、世界の半分の人々を不自由のどん底に叩き込んだ「社会主義」は、元々はドイツ人(カール・マルクス)が作り出したものだから、ドイツ人が自ら壁を壊して一つの時代を終焉させるのは当然のこと。あいつらが考え出した社会制度がロシア人を不幸にした。と言っています。 89年5月にはハンガリーがオーストリア国境の鉄条網を撤廃させ、往来を自由化させたことがベルリンの壁撤廃の先見でもありました。 東ドイツとハンガリーはビザ入国ができたので、この年の夏にはバカンスの名目で数万人の東ドイツ市民がハンガリーに旅行に行き、非合法ながらも国境を突破してオーストリア経由で西ドイツに行くのがお決まりコース。 この年の8月19日にはハンガリー・オーストリア国境にピクニックに来ていた900人の東ドイツ人が、一斉にオーストリアになだれ込む事件が起きました。だいたい国境付近にこんな大勢の外国人がピクニックに来ること事態おかしなことですが、昔ならマンガの世界の出来事だったかもしれません。 大方のロシア人はハンガリーでこんなことが起こっている事など知りませんでしたが、ソビエト当局に勤務していた友人はその噂を聞き、「私を取り締まりにドイツに派遣してください」と名乗り出て、自分もどさくさにまぎれてハンガリー経由で西側に出ようかと、マジで計画したそうです。実際、東ドイツに駐留した兵士でロシアに帰ってこなかった兵士は相当数いるようです。 およそ四角四面で理論にがんじがらめの妥協なきドイツ社会に、感覚的で大雑把なロシア人が馴染めるはずはないと思いますが、「自由」の持つ魅力は「不自由」を経験したものでなければわからないものかもしれません。 プーチンはKGBで東ドイツに派遣されていました。ロシアにもどって来たから大統領になれたが、有能な人がたくさんいる西ドイツに亡命していれば今頃炭鉱労働者だっただろうと、ロシアのジョーク。 05.2/8 |