ピョートル大帝

| サンクトペテルスブルグは300周年記念行事でにぎわっています。この都市の名前はキリスト教の聖人聖ペテロに由来しているとも言われていますが、都市の建設者でもあるピョートル大帝(1655〜1725)にも由来しています。ちなみにこの都市はカール12世率いるスウェーデン(ウクライナと連合していた)と一戦交えるために建設されています。
1700年にスウェーデンに侵攻し、1714年にバルチック艦隊はスウェーデンの海軍を撃破し、1718年にカール12世は何者かによって背後から暗殺されています。 「ピョートル大帝のひげきり」で名前を知られていますが、16世紀に雷帝イワンによって突然出現した未文化で超荒っぽい国だったロシアに、文化を導入して普通の荒っぽい国に進化させた皇帝です。 ヒゲきりにしても、スウェーデンと戦争をするために風呂税・スイカ税・クルミ税・煙突税などと奇妙な税金を次々とあみだし、ネタが尽きたためにひげに税金をかけたのだそうです。身分によってヒゲの税率は違いましたが、基本的に農民はヒゲ税の対象外でした。しかし、農民が都市に来るときには微量ではあれヒゲに対する税金を支払わなければなりませんでした。画期的な税制改革でしたが結果的に失敗しました。 ピョートル大帝は2mもある大男だったそうですが、酒にまつわるエピソードに関してはエリツィンが聖人に見えるほど豊富です。偉大な事業をなしえた大帝ですが、それゆえに奇妙な行動も多かった人物です。平凡な善人より非凡な狂人を愛するロシアの幕開けはこのあたりから始まったのかもしれません。 あるとき飲んだくれ仲間を集めて「酔っ払い省」を作り、酔っ払い大臣、酔っ払い法王、酔っ払い枢機卿などを任命。自らは謙虚にこれらの中でも身分の低い酔っ払い司祭に着任。ピョートル大帝以上の酔っ払いがいたのでしょう。 造船技術や軍事技術を学びに英国に行けば、3ヶ月の滞在で宿舎の家具は壊され室内はがたがた。毎晩飲んでは大騒ぎをしていたようです。飲んで騒いで大暴れが当時のロシアの文化だったのでしょうが、受け入れたイギリス側はたまったものではありません。 プロイセンに行ってドイツ女性とダンスを踊り、コルセットを知らなかったものですから、「ドイツ女性は硬い肋骨をしている」と解釈し、オランダには身分を隠し造船所に職人として雇われて働いてみたり、奇妙な行動をとることが多い変わり者でした。 型にはまったことが嫌いで、かんしゃくもちで気まぐれのピョートル大帝は気分次第でおかしなことをやらかしては周囲のものを困惑させましたが、それを上手にとりなっていたのは妻のエカテリーナ(1684-1727)です。 ピョートル大帝にはエカテリーナの前に前妻エルドーギアと息子のアレクセイがいましたが、大帝暗殺を企て失敗し殺されています。「アリョーシャ、こんな飲んだくれの父ちゃんなんか絞め殺してネヴァ川に流しちまおう」と今のロシアでもありそうな人情物語ではなく、王位を狙った泥臭いものです。 洗濯女からピョートル大帝の後妻となったエカテリーナも、マルタ・スカブロンスカヤという名前で農民の娘でしたが、一家が離散し牧師の幼女になり、スウェーデン人と結婚、ロシアの戦乱に巻き込まれ連行されてきて、ロシア貴族の妾になり、それをピョートル大帝に見初められて王妃に成り上がった玉の輿人生を歩んだ人です。 ピョートル大帝の死後エカテリーナが女帝になりまさにシンデレラストーリーを地でいく人生を歩みましたが、なかなかつわものだったらしく、ピョートル大帝がエカテリーナ皇后の愛人をひっとらえて連れてきても「そんな男知らない、迷惑だから殺しちゃえ」と突っぱねるような女でしたから、大帝も酒におぼれたくもなります。 女帝エカテリーナ以降、アンナ、エリザベータ、そして大帝エカテリーナ二世とカマキリのような女帝の歴史がロシアに始まります。ちなみにロシアの皇帝で、大帝と呼ばれるのはピョートル大帝と、エカテリーナ二世だけです。エカテリーナ二世については別の機会で取り上げますが、愛人と結託して亭主を暗殺して皇帝になってしまった大物です。 ピョートル大帝の娘のエリザベータ女帝などわがままに育っていますから、自分が好きなピンク色を独占してしまい、死刑廃止論者であるにもかかわらず、自分の好きなピンク色を身に着けた女性に限っては死刑にすると言うお触れを出しています。 一歩遅れて出てきたロシアがヨーロッパ史に列強として名を連ねるようになるのはピョートル大帝からですが、案外家庭内では強い女性に虐げられて不憫な生活をしていたのかもしれません。 |