最初のお見合い体験談
| Доверяй, но проверяй! 「信じなさい、でも検証しなさい」ロシアの諺です。
私事ですが、数年前に国際お見合いの会員となって程なくしてウラジオストクに飛んだのですが、渡航の2日前に新入会の女性が私に興味を持ったと添付メールが来て、ルンルン気分で出かけました。これがまあ、写真を見たときに「本当?」と疑うような美女に見えたもので、自分もまんざらではないんだなあとよからぬ自信を持ってしまいました。 今では新潟空港が近くなるとカーステでアラ・ブガチョワの「百万本のバラ」をかけて気分をロシアモードに切り替えるのですが(ハルビンに行くときはなぜかテレサ・テンのつぐない)、このときはお見合い初出陣だったので山口百恵の「いい日旅立ち」をかけていました。 日本のどこにも私を待っている人などいなかったが、海の向こうにはいた!ザマアみやがれ!とばかりに機上の人となりました。山あり谷ありの道のりに踏み出してしまったのですが、このときはそんな自覚もありませんでした。 ウラジオの空港について通訳が待っていてくれたのですが、このときの出会いが今に続いていますし、最終的に私のパートナーを個人的に紹介してくれたのも彼でした。どこにどんな人生行路が潜んでいるのかわかりません。人と人との関わりは面白いものです。 |
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ホテルに着くとウラジオのエージェンシーの代表が分厚いファイル3冊持ってきて、「明日までに興味のある女性を選んでおいてください」と言われましたが、私の心はひとつですとばかりに、最初にメールで紹介された女性一本に絞っていました。
彼女は高校の教師なので、夕方にならないとこられないと言うので、昼間はカメラを持って街中を散策していました。ウラジオストクは軍港で閉鎖都市だったので外国人が立ち寄れない町でした。ソビエト時代の経験があるだけにもっと恐いところだと思っていたので、開放都市になっても足が遠のいていました。 実際歩いてみるとロシア的な雰囲気が希薄で、日差しなども含めてアジア的な雰囲気が強く感じました。 今でこそホテルや街中にマトリョーシカなどの民芸品売り場が立ち並んでいますが、当時はほとんど見かけることもありませんでした。 デノミが行われた直後だったので、紙幣も以前より0の数が数桁少なくなって張り合いが悪いような気分でした。 夕方になって、お見合い第一回が始まりました。送られてきた写真がスタジオ写真だったので、実物はもっと落ちるだろうなと予測はしていましたが、そうでもありませんでしたし、なかなかの美人でした。 |
| コムソモリスク・ナ・アムールの出身リューダと言う女性でしたが、大学卒業後、政府の指示でウラジオストクに赴任してきた世代です。当時は学校の教員は給与の遅配や過度のインフレで暮らしの厳しい職業のひとつでしたが、彼女も家庭教師のアルバイトを持っていました。今ならコムソモリスクと聞いただけで悪い話ばかりが頭に浮かぶようになりましたが、当時はそれほど名が知られていませんでしたし、地域で差別するのも本意ではありません。
たまたま、コムソモリスクから彼女の母親も来ていたので会うことができたのですが、お母さんはごく普通の庶民的な人でした。家庭的には問題ないだろうなと思いましたが、「信じなさい、でも検証しなさい」の諺にしたがって勤めて冷静に事態を見守っていました。 一緒にいてだんだんにこちらの気持ちが冷めていく思いがしました。なんとなく人生観が違うような気がしてなりませんでしたし、決定的だったのは商店のガラス窓に移る私と彼女の姿を見たときで、何だ?この不自然な違和感は?と疑問がたくさんわいてきました。 その後、ナイトクラブに行ったのですが、私がミハイル・レールモントフを好きだということで、レールモントフの詩にシャシノフが曲付けした歌を彼女がカラオケで歌ってくれたのですが、これが「Выхожн один я на дорогуわれ一人旅路に出れば」で、「われ一人旅路に出れば もやの向こうに石くれ道がきらめく 夜はひそやに 荒れ野は神の声に聞き入り 星と星は語り合う 天上は厳かにして麗しい 蒼い光の中で大地はまどろむ なのになぜわれはこうも悲しみ、こうも悩む? 何を望み、何を悔やむ?」と歌われては、こんなところでお姉ちゃんと無駄な時間過ごしていちゃぁならねぇわな。と考えるようになりました。 そのうちマドンナの「ライスラ・ボニータ」がかかると官能的に踊り狂っていましたが、こちらはだんだん一緒にいるのが嫌になってきました。美人は三日で飽きるといわれていますが、三日持ちませんでした。バブル期の日本にもいた享楽的な人種と対して代わりがありません。一緒にいると邪気のようなものを感じてなりませんでした。磨けば光る原石ではなく、安っぽいメッキがはげかかっているようで惨めに思えました。 「都会はお金がなければ生きていけませんが、田舎は智慧がなければ生きていけないんですよ」と遠まわしに言ったのですが、裏を返せば「あんたみたいのは六本木あたりでふらふらしていればいいのであって、私の生活環境に立ち入らせない」と言いたかったです。 家に送り届けてからホテルに戻り駐車場で通訳と1時間近く話し合いました。飾っておくにはいいけれどとても一緒に暮らしてはいけないだろうというと、彼も同意見でした。いかにして彼女を傷つけないように断るかと相談したところ、彼女から断るように仕向けるからまかせてくれと言うので翌日の返事を楽しみに待ちました。 翌日、「大丈夫!向こうから断ると言ってくれました。」と作戦成功を知らせてきました。後年、どうやって断らせたの?と聞いたら「あの人はSMマニアでロリコンでホモのスカトロだと言ってやったら、一発で向こうがビビッていました。」と言うにことかいて散々なことを並べてくれたようです。「大丈夫!もう二度と会うこともないでしょう!」と言っていましたが、半年後にフォキナのバスターミナルでばったり会ってしまいました。物の怪でも見たがごとく血相変えて走り去っていったので、私に気兼ねしているのかな?と思っていたのですが、逃げたくもなるわな。 断られてうれしい反面何のためにここまで来たんだろうというむなしさなどもありましたが、気持ちを切り替えて残りの滞在を充実させようと努めました。 この後良い出会いに恵まれたり、ビザ問題でトラぶったり、家族の反対があったり紆余曲折の長い道のりが始まるのですが、ずいぶん辛酸をなめた思いがします。これが糧になったのか脂肪として蓄えられているところが私の素晴らしさです。長く曲がりくねった道なので、信じられないとそこで引き返せばそれもいいでしょうが、そこで愚痴っていても女々しいだけなので、「信じなさい、でも検証しなさい」と歩むほうを選びました。 |