禁酒令

 5月から発泡酒の税金が10円引き上げられたとか。明治37年から38年(1904年から1905年)にかけて、日本と帝政ロシアの間では日露戦争が勃発しました。この戦費を調達するために酒類に高額な税金をかけて以来、日本の酒税は世界でもきわめて高い部類になっています。

 ウォッカ飲んだくれ相手に戦争するのに、酒に税金をかけるという日本政府のアイデアもお笑いなら、その酒税で勝ってしまったのだから、なかなか粋な戦争でした。実際には高橋是清が奔走してモルガンなどのユダヤ系銀行から戦費をかき集めてきたようです。

 ともあれ、日本の飲んだくれから集めた酒税で日露戦争に敗れた帝政ロシアは、その後転げ落ちる石のようにレーニンの社会主義革命によって消え去ります。

 歴史というのは繰り返すのだそうで、実際血は流れていましたがチェコスロバキアが無血革命によって共産化し、無血革命によって自由化されたように、戦争による革命が行われた国は戦争による革命でその時代を閉じるのだそうです。

 ロシアの話題でウォッカがなくなれば普通の国になってしまうほど、ウォッカがらみの笑い話は多い国です。実際に出かけてみると破壊的なまでに飲んだくれている人間を見かけることはまずありませんし、日本の繁華街ほど酔っ払いの多い場所など世界のどこを探してもないでしょう。酔っ払って歩けることはあるいは安全の象徴なのかもしれません。

 かつてUSAで禁酒法が施行された時代に勢力を伸ばしたのは密造酒販売で財を成したイタリア系マフィアで、そのドン、アル・カポネも最後は脱税で逮捕されます。

 ゴルバチョフ時代禁酒令を出したらかえってウォッカの消費量がうなぎのぼりに伸びたそうです。この禁酒令の時代、今のエカテリンブルグでエリツィンらが音頭をとってご当地ウォッカの開発(密造)に成功し財を成しています。なんでも、まずくて評判だった当時の地ウォッカをパンの耳でろ過したら旨いウォッカができたとかで、ソビエト連邦解体後の新しい国家の礎はウラル山中でのウォッカの密造から生まれたようです。

 はたしてこれが密造なのかどうなのかはわかりませんが、私の知人にも自家製ウォッカを造っている人がいます。納屋にフラスコやガラス管やアルコールランプなどを組み合わせて化学の実験室のような蒸留システムを作り、砂糖水にパンに使うイースト菌を混ぜてウォッカを造っています。ソビエト解体直後の物不足の時には砂糖が手に入らずウォッカ作りの危機だったそうです。

 禁酒令の時代に密造酒が売れたものか聞いてみたら、そうでもなかったようで、「みんな自宅で作っていたからね」という返事でした。

 ソビエト時代、西のほうで禁酒法を出していた国があります。フィンランドです。今はサンクトペテルスブルグという名に戻った当時のレニングラードには、地理的に近いこともあって金曜の晩になるとフィンランドから酒飲みツアーがバスを仕立てて大挙して押しかけ、日曜の夜までホテルに閉じこもって、2泊3日でレニングラードのウォッカやコニャックを大量消費してくれたそうです。

 酔っ払いが集まるところにいつの間にか沸いてくるのが人類最初の商売といわれる娼婦達で、この連中がフィンランドからの酒飲みツアーに同行してレニングラードにやってきて、フィンランドの酔っ払い相手に荒稼ぎをします。

 貴重な外貨獲得のチャンスをフィンランド女に持っていかれてなるものか!許してはおけない!と、愛国心あるレニングラードの女達が祖国のために立ち上がり、ソビエトには法律上いないはずだった売春婦が生まれたという説がまことしやかに語られています。

 あるいはこのとき既に資本主義的な目覚めがソビエトに生じていたとするのなら、ソビエト崩壊の一歩は売春婦から踏み出されたのかもしれません。

 日本の酒税がきっかけでロシア革命に至ったのなら、フィンランドの禁酒法とゴルバチョフの禁酒令がソビエト崩壊の一脈を担っていたのかもしれません。